木曽駒ケ岳H16(聖職の碑コース)
(以前からずっとザウルスに記載していた日記より、そのまま転載)

2004/12/30

 梅田15:30発に余裕をもって出発準備をする。装備は以前から準備万端だが風呂・着替え・メールの最終確認など結構忙しい。スノースコップの柄はピッケルのシャフトで代用して持っていかなくても良いように工夫した。でも駒ヶ根市のライブHPで最近でもホテル千畳敷でマイナス18゚Cにもなっているのでシュラフは厳寒期用のダウンとシュラフカバーまで詰め込んであるし羽毛服に化繊の綿入りオーバーズボンや暖かい下着やマフラーも持参する。新雪だろうから「わかんじき」と「スノーストック」で十分だろう。だからピッケルとアイゼンは不要だろうが宝剣岳方面に足を伸ばす場合を考えて持参を決める。風雪用にゴーグル・目出帽とお気に入りのTHE NORTH FACEのグローブも持参。

 アルコールはスピリタスだけでは味気無いのでウィスキーも少し混ぜる。食糧は行動食を含めて1週間分は楽にある。燃料はガス250タイプ(225g)×2本だが1週間にもなるようだと不足だ。小屋に入れない場合を想定してフライシート無しのエアライズ2のみと雪用ペグを含めて持参。ザック重量を計ると何と29kgもある。先日油コブシに予行演習に行った時のザック重量は25kg程度でこの時はシリオの冬用登山靴のチェックが主目的で足首に問題が発見出来たのが良かった。ザック重量には苦しい違和感は無かったが、今まで25kgを越えると厳しかったので大丈夫かなと不安が頭をよぎる。

 出発30分前までに予約番号を提示してバスの券を購入するように聞いていたが、念のためバス発着場に再確認するともっと余裕を持って来てほしいと言われる。14:30に家を出発する予定であったが少し早めて13:50に出発する。シリオの登山靴は履かず手に持ってにスリッパで出掛ける。箕輪行のバス停は大阪の阪急バス発着場で年末の帰省客でごったがえしていた。10分単位でバスが全国各方面に次々出ていく。ぎりぎり到着する人も居る。30分前でも問題無かったようだ。予約バスはどれも満席だ。結局5分遅れで出発する。横は若い女性だったが予定通りウィスキーを飲み始める。若い女性は直ぐ寝始めたので助かる。バスは乗り換えが無いので楽だ。

 予定通り伊那市に20:35に到着する。さすがにこの辺は市街地でも雪がかなり残っている。バス停から3分の予約してあるステーションホテルに着く。明朝のタクシーの確認はホテルがしてくれた。明日の朝飯のカップラーメンなどをコンビニに買いに行き風呂に入ってから足の手入れ(チタンテープ貼りやクッションズフォーフィート貼りなど)をしてから23時頃に寝る。

2004/12/31

 千尋に作ってもらったクションを足首に巻いて出発する。本番でどの程度機能するかが問題だ。朝6:00に予約通りタクシーが来ていた。未だ真っ暗だが行先を「桂小場」と言って出発する。こちらは通行止め情報を得ているがタクシー会社には情報は無いようだ。プロだから雪道は慣れているだろうから行ける所までいってもらう積りだ。15分で小黒川キャンプ場を通過するが小黒川発電所手前でタクシーはスリップして登れない。運転手はやばいと焦る。乾いた雪だけだと問題ないが、流れている水が凍っていて登りはスタッドレスを履いていてもズルズル下がってしまうようだ。何度か後退してから何とか勢いで脱出できた。

 そのすぐ先で道を全面にふさぐバリケードで通行止めになっている。運転手さんは無線で会社に聞くが会社にも情報は無かったようだ。5年前タウンエースで行った時は障害物だけで通行止となっており、その気であれば右から回り込めば擦り抜けられたが今回は不可能なので諦めてタクシーを降りる。3200円だった。6:20に通行止め地点を出発する。(今回デジカメの時間は実時間より10分程度早かったようだ)

 通行止めの先も四輪駆動の最近の輪立ちがはっきり残っている。古い足跡も1つ残っており往きの足跡と帰りの足跡が同じ足跡に思える。どこまで行ったのだろう。恐らく信州大学宿舎までだろうと思いながらゆっくり歩いている内に空が明るくなって来る。7:05に信州大学宿舎に着き7:10に桂木場に着く。足跡はまだ続いている。積雪はまだ10cm程度だ。ここでわかんとストックを使用するか迷うが止める。風も無く上に何も着けず7:25に桂木場を出発する。29kgのザックの重さはさ程気にならない。高価だけあって担ぎ易いザックと評判の通りである事を実感する。

 40分で「ぶどうの泉」に着く。水はしっかり出ている。天気予報の9時頃より少し早いがこの手前辺りから小雪が降り始める。取り合えずザックカバーだけを着けて8:20に出発する。ゆっくりゆっくり登る。雪が次第に本格的になって来る。野田場まで長い。10:07にやっと野田場に着く。ここも水が完全に凍らずチョロチョロ出ているがその気にならなければ汲める状態では無い。横山への分岐に10:44着。馬返しに11:05着。白川分岐に11:16に着く。

 降雪は次第に本格的になるがゴアの雨具を出すのが億劫でそのままなので雪をかなり被っている。恐らく頭は雪で真っ白だろう。上着に着く雪を何度も払いながら登る。昼近くになって来たので腹が減って来る。ザックを降ろす気にならない。ポケットにあるスティック菓子1本を食べるが腹は満たない。シャリバテ状態だが小屋に着くまで我慢することにしてそのまま進む。気温はそれ程低いとは思えない。頭の雪が一部溶けて頬や首筋に流れてくるのに気付く。後少しで大樽小屋だ。12:40に大樽小屋に着く。

 「ぶどうの泉」以来久し振りにザックを降ろして一息着く。頭は雪が凍ってバリバリだ。手で取ろうと思ってもくっついて取れない。服の上着に着いた雪は凍り付いてなかなか取れない。ゴアの雨具を早く着るべきだった。薄手の発熱素材の手袋はビショビショだ。まだ時間は早いが今までのペースだと西駒山荘までは厳しい。でも雪の浅い間ならラッセルしなくて良いので高度を稼ぎたい。これからどうしようかと思う。

 今回は日程に余裕がある。今日は崩れるのは判っていた。明日も穏やかな天気ではないので雪は続く可能性は高い。明日の次の2日と3日に頂上アタックするのが最善だ。こう考えると明日西駒山荘まで行き、明後日に頂上アタックか頂上木曽小屋の冬季非難小屋まで行くのが最善だと判断する。小屋の気温はー4゚Cでそう寒くない。水用の雪を集める。水場の水は採れるかも知れないが敢えて行く気がしない。誰も来ないだろうとゆっくり暖を取りながら食事を始める。

 小屋を占領して3時間程したら次に団体が到着する。中高年の男女5人パーティだ。浅い新雪程度なのに何故か全員アイゼンを着けている。早速片付けてスペースを空ける。最初は一時休憩のような事を言っていたが何やらここで泊まるように直ぐ変わる。リーダーらしき男が断りもなく小屋内で煙草をスパスパやる。都会のエチケットも無いパーティだ。話しから東京のパーティのようだ。

 こちらからは話しかけないが彼らの話しから相当スピードの遅い単独行者も後で登って来ているようだ。1時間も過ぎて暗くなり始めた頃単独行者がようやく到着する。彼も何故かアイゼンを着けていた。5人は自分達だけが小屋に居るように遠慮もなくうるさくはしゃぎまわる。うっとうしい。時間はたっぷりあるので夕食とアルコールにかかる。

 水用の雪を取りに外に出た時、単独行者がパーティーに明日何時起きか尋ねる。そのやり取りから単独行者は3時起きで胸突の頭で初日の出を見たいし、木曽駒ケ岳から先に行った事がない宝剣方面から千畳敷に回りたいそうだ。パーティーの方はこの小屋から軽装で木曽駒ケ岳へアタックして往復するようだ。先発隊がラッセルしてくれそうだ。

 19時頃にパーティーは寒さ対策に小屋内でテントを張り始める。スペース的にはあつかましくはないが何の断りもなく勝手に始める。羽毛服に厳寒期シュラフに化繊のオーバーズボンを着てペットボトルの湯たんぽをすると夜中に暑くて目が覚めた程寒さは全く無かった。

2005/1/1

 目が覚めた4時過ぎには朝3時と言っていた単独行者が起き出してパーティーも起き出す。単独行者はスタートからつまづいている。こちらはもう少しゆっくりしたいがバーナーのゴーっとする大きな音が始まると起きずにはいられない。朝の室内気温は-4゚Cだ。単独行者はドジでせっかく雪を溶かした湯をひっくり返す。昨夜も同じ事をやってしいたのに2度目だ。

 6時過ぎに5人パーティーの方が先に出発する。その5分後に単独行者はフル装備を背負って出発する。積雪は30cm程増えており50cm程度だ。こちらは今日は西駒山荘までの予定なのでゆっくりする。出発時には未だ小雪が降っており今日はゴアの雨具を着て厚手のTHE NORTH FACEのグローブにストックを両手に持ち、「わかん」を着けて7:50に出発する。胸突の頭の先の分水嶺からの稜線ではゴーグルが必要かも知れない。8:22に信大コース分岐に着く。その先の木に着けられた寒暖計は-16゚Cだ。

 6合目に9:37に着く。この辺りから雪が深くなって来て登りは苦しいがラッセル泥棒としては楽だ。途中単独行者が休憩した雪跡にシェラカップが落ちていた。津島神社に10:31に着く。ストックを使うと休む時ザックの支えにできて、ザックを降ろさず立ったまま休めるので効果的だ。胸突の頭に11:34に着く。胸突の頭の手前で腰を降ろし休んでいる単独行者を追い越す。この時シェラカップの事を教える。引き返しが長くなるので諦めるそうだ。

 分水嶺に着くと予想通り一気に風が強くなる。その先の小ピークに先発パーティーの姿が見える。時間的に木曽駒ケ岳まで往復してきたとは思えない。下って来るのだ。擦れ違う時に何時に出発したのかと聞かれ、リーダーが将棊頭山の先はトレースが無いと情報をくれた。一瞬ラッセル泥棒でこのペースでは無理だから、引き返せと言っているようにも受け取れたが稜線まで出ればもうすぐなので取り合えず進む事にする。

 夏道は雪が深く当然トレースも無いのでザックを置いて稜線ルートの先の様子を見に行く。問題無さそうだ。ザック位置に戻る途中に単独行者に擦れ違う。これで単独行者が連れになるかも知れないと喜ぶ。ザック位置で昨夜作っておいたアルファ米の鳥飯を強風の中でも出して食べようとするが米が凍ってシャリシャリだ。それでも半分程度食べる。うまくない。ここで何度も手袋を外したが、外した途端手が一気に冷える。以前なら手袋をはめてもなかなか手の温度は回復せず、指先が痛い状態が長く続いたものだが、今回は回復が早い。恐らく昨年末まで午前中を半袖1枚で通した耐寒訓練がこのような効果として現れたのだろうと実感する。

 先に行った単独行者を追いかける。直ぐ姿が現れる。確かにこの単独行者は遅い。長く立ち止まる事が多いようだ。強風の性だけでは無さそうだ。すぐに追い越す。マイペースで進む。暫くして振り返ると単独行者の姿が見えない。変だなと思いながら進む。何度振り返っても単独行者の姿はついに現れなかった。引き返したのだろう。確かに強風だが吹き飛ばされる程ではないしゴーグルを着けないが何とかなる程度なのだが。ただゴーグルを着けなかったのでまつげは氷のマスカラ状態だ。まばたきで時々まつげがひっつく。

 将棊頭山に13:18に着く。西駒山荘が下に見える。何と無くホッとする。地吹雪であるが久し振りにデジカメに収める。ここから先の下りは雪が深そうなので輪かんをつけようかとも思うが風の強い中着けるのも大変なので諦めて靴だけでの下りを決意する。這松の頭が出ている所など、ズボッと来ないルートを探しながら下って13:45に西駒山荘に着く。

 夏の出入口は雪で覆われて冬季入口の窓からしか入れない。重いザックを入れるのに一苦労する。水用の雪をたっぷり集めて小キジを撃ってから小屋に入る。小屋内気温は-10゚Cだ。外気温を計ると-17゚Cだ。小屋内に入っている雪はほうきで集めて掃除できる。夏玄関に積って覆っている雪が小屋内窓から手を伸ばせば簡単に採取できる事が判り、水用の雪の心配は無くなる。鼻水が垂れるとティッシュを出している間に凍ってしまう。

 ブタンガスコンロも減って来ると勢いが弱くなってくる。ライターでボンベを暖めてやれば暫くは勢いが続く。ライターの別の用途を発見した。もう同居者は現れなさそうなのでテントを堂々と小屋内に張る。テントで水をひっくり返したり一酸化炭素中毒にはなりたくないので水作りはテント外で行い、食事を作るのもテント入口を少し開けて行う。さすがにテント内は気温が上がって-4゚Cだ。昨夜の大樽小屋の気温と同じだ。

 明日は全荷物を担いで頂上木曽小屋の避難小屋まで行くか軽装で木曽駒ケ岳までアタック往復するか悩む。今日のペースだと天気が良くてもかなり早く出発しなければならない。時間も余裕があるので明日は偵察に出掛けるつもりで、取りえず行ける所まで行って帰って来る段取りとする。そうとなれば明日もそんなに早く出発しなくても良いが、5時くらいには起きなくちゃと思いながら20時過ぎにラジオを聞きながら寝る。寝付いたのは午前零時前になる。風がきつくて風の音と冬季入口がバンバン鳴る音が大きい。

2005/1/2

 朝眠くて、もう少しまどろみたいという思いで6時過ぎにやっと起きる。でもさすがに昨夜のように暑くなるという事にはならなかったが、寒くて寝られない事もなかった。テント内気温-6゚Cで外気温-16゚Cで寒さは少しは緩んだようだ。最初はザックの取り外し可のサブザックになる部分を担いで行こうと思っていたが、万一のビバークを考えると防寒用具を持つ容量が無い。小屋に置いていく分が多く荷物が軽いのでザック本体ごと担いで行く事にする。小屋を出ている間に次の客が来た時の場合に備えて荷物を整理したり色々準備していたら出発は遅くなってしまった。結局8:00に小屋を出発。

 外は快晴だが風が強い。最初からゴーグルを着ける。でもゴーグルをすると目の痛みは無くなるがガラスのオレンジ色で夕方の雰囲気になってしまう。8:30過ぎに稜線に出る。風は昨日よりは強いが飛ばされそうにまではならない。雪が飛んでいる所でアイスバーン化している所に僅かにトレースが残っている程度だ。大半の足跡は飛んできた雪で被われている。輪かんを履いていてもあつこちでズボッと来るからできるだけ這松の境界付近を歩く。這松が無い所はラッセルになる所もある。夏山のようにスタスタは昇れない。結構アップダウンもある。

 岩場に近い所で輪かんで登下降するのは時間が遅くなる。最初は12:00に山頂到着をタイムリミットに考えていたが、この天候の良さと帰りは主に下りであるのと自分でトレースを付けてあるので、最終リミットタイムを14:00に変更する。頂上山荘分岐の先で初めて人に出会う。3人パーティーの男性だ。それ程重装備でないが、ひょっとして西駒山荘に向かうのかと思う。木曽駒ケ岳山頂にタイムリミットぎりぎりの13:55に到着する。

 風は強いが天気と展望は素晴らしい。頂上山荘方面に下って行くパーティーも見える。頂上木曽小屋の避難小屋を偵察に行きたかったが時間切れで諦める。写真を撮って直ぐ下山する。先ほどの3人パーティーの姿が見付からない。いくら進んでも姿が見えない。きっと頂上山荘方面への分岐から頂上山荘方面に折れたのだろうとしか考えられない。また独りぼっちだ。日が暮れそうになる17:25に西駒山荘に帰着する。

 明日は今日の天気の程度であれば今朝より早く出て、木曽駒ケ岳から頂上木曽小屋の避難小屋に向かうのは可能性十分である。日程にまだ余裕があるので明日再び木曽駒ケ岳から頂上木曽小屋の避難小屋を目指すか、下るかは明日の情況を見てから決める事にする。

 今朝テントの内側は息の水蒸気で凍っていたので、小屋内の長テーブル・イスで暖かい食事を作って食べるが直ぐさめる。昨日は事前に作っておいたアルファ米のとり飯が行動中に凍っていたのでアルファ米のとり飯は明日朝作る事にする。アルコールも未だ十分ある。ガスコンロが1本終わりそうである。やはり雪を溶かして水を作るのは夏と大違いで消費が早い。

 千尋に作ってもらった足首のクションは効果絶大だったが、足首が太くなり過ぎてスパッツが巻けないのと、歩いている間に次第に上にズレてくるのが唯一の難点だ。帰ったら綿の量を少し減らしてもらおう。寒いので食事後テントに潜り込んで、ラジオを聞きながらアルコールを飲む。

2005/1/3

 朝はゆっくりして6時過ぎに起きる。今日の朝の室内気温は-12゚Cだった。湯やアルファ米のとり飯を作ったりテント撤収や小屋内の清掃に時間がかかって小屋を10:30に出る。風が昨日より強い。昨日下って来たトレースもかなり消えている。稜線へ向かう途中も時々突風が吹く。

 稜線に出ると耐風姿勢をとらなければならない程の強風が吹いている。天気は悪くないがこれではとても木曽駒ケ岳に向かうのは困難だと思える。頂上回りのコース行動を断念し下山することとする。将棊頭山に11:10に着きここまで40分もかかっている。稜線では何度も耐風姿勢をとらなければ飛ばされそうになる。やさしいルートだが輪かんを着けて強風の中下るのに所々緊張を強いられる箇所も出て来る。分水嶺にようやく12:00に着く。

 ここから先は安心だ。胸突の頭からは雪が深くなっているがトレースはしっかりあるし輪かんを着けているのでただ下るだけになる。14:10に大樽小屋に着く。中は予想通り誰もいない。日程に余裕があるのでここで泊まろうかとも思うが通過して一気に下る事にする。野田場を15:10に通過する。

 今まで各小屋や山頂でトライして通じなかった携帯電話(Jphone)を見通しの良い所で何度か試しながら下る。初めて通じたかなと思ったら直ぐ切れてしまった。途中3人の中年男性パーティーに出会う。「将棊頭山から先はトレースが無いのか」と尋ねられる。大樽小屋に居た5人パーティーに会って聞いたに違いない。私が将棊頭山から先進めていないと思っていたのだろう。この3人パーティーには頂上を往復してきたと伝える。未だ雪は浅くてラッセルはそれ程でもないし、このルートははっきりしているので何故トレースがある事にこだわるのかよく判らないがトレースがあるのを知って嬉しそうだった。

 谷筋の見通しが開けた地点で再び携帯電話にトライしたらようやく千尋と連絡ができて下山予定を伝える。ぶどうの泉を16:00に通過する。夕方になってきたので足を早めていると何でもない山道でつまづいてころんでしまう。片方の輪かんを片方で踏んづけてしまったのだろう。細い山道から半分落ちそうな姿勢で止まる。起き上がろうとするが適当な手掛かりが無く重いザックでもがいている内に道から谷側に1mほど転落する。雑木林なので直ぐ止まる。直ぐ道に戻るが右ひじ辺りに擦り傷をしていた。雪が体にびっしりこびりついているのを取るのに手間取る。16:20に桂木場に到着し輪かんを外す。

 夕暮れに近くなって来た。下りながら取り合えずステーションホテルの予約を試みて成功する。タクシーを降りた地点の先の小黒川キャンプ場の管理小屋前でタクシーを呼ぶ。15分程でタクシーは来てくれた。来る時よりは雪は深くなっているが凍っていないのでスタッドレスを履いたタクシーは問題なく18:30頃にホテルまで運んでくれた。一番気になっていた帰りの直行バスはやはり帰省客で満席で取れなかった。後はJRで帰るしか無い。

 中央線回りで帰るために塩尻まで直行する長野行きが7:14と8:18に伊那市から出ている。ホテルの朝食を食べてからにして8:18に乗る事に決める。何は無くともまず風呂だ。そこそこの充実感もあるので風呂は最高だ。風呂をあがってから部屋でテレビを見ながらコンロで夕食を作って一杯やりながら至福の時間を過ごす。乾かせるものはできるだけ広げておいて室内温度を高くしておく。着替えや荷物整理は後回しにしてぐっすり寝る。

2005/1/4

 朝は忙しい。8:18に乗るため6時に起きてザックを詰める。8:00にホテルを出て予定通りの列車に乗れる。列車も良いものだと改めて思う。足を伸ばせ歩けるのだ。ガラガラの電車だったが塩尻に近付くに連れて増えていく。塩尻で特急に乗るか迷う。日程に余裕があるのと特急に乗っても帰宅時間が2時間程早くなるだけだ。それよりも駅弁を買って鈍行でゆっくりしてみたくなった。

 塩尻で珍しい岩魚弁当を買う。最初列車で食べようと思っていたが千尋にもたべさせてやりたくなって結局おみやげとして持って帰る事にした。その後どこかで駅弁を買って食べようとしたがタイミングが無く機会を失ってしまって残念だった。塩尻から乗った鈍行で前の座席に座った年輩の男性がどこに登ったのかと尋ねてくる山歩きの好きな人で色々話しながら過ごす。話の中で青春18切符で各地を回っている情報が興味を引かれた。帰って青春18切符を調べてみようと思う。全て鈍行・快速で帰り、17時前に家に着く。

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