小辺路日記(1) (H16年1月)

1月1日(木)

 2:00に起きて余裕で出発準備をするが乗車予定時間の15分前にいつも奥駆けに履いているシリオの短靴を履くとすごくきつい。靴下を薄手と厚手の2枚履いたためだろうが慌てる。2階のトランクルームから慌てて古くから使っていた革靴を取り出して履く。この選択をしたのが今回の失敗の一つだ。

 朝JR臨時便の3:25JR六甲道発にぎりぎり乗って環状線のJR難波経由で南海難波から高野山に向かう。(JR:620円、南海1,230円)ザックは18kgで結構重い。電車は初詣で関係で結構人が乗っている。途中南海電車で腹具合がおかしくなってきたので乗り換えの三日市町駅の7分間でトイレに駆け込むが危うい所で乗り損ねる所だった。

 今日は伯母子岳山小屋まで行って泊まる予定だ。六甲逆縦走した時痛めた右足の右の中央右辺りの出張っている所が気になる。負担をかけないよう注意しながら歩く。少し歩くと更に左足首の革靴の入口の輪が当たって痛くなり始める。特に外側がよく当たって痛い。8:17に大滝口の女人堂跡地に着く。ここはろくろ峠でもあった。

 ここから薄峠方面が見渡せ薄峠付近まで逆にろくろ峠が見渡せる。薄峠から先には「熊野参詣道(小辺路)保存修理工事第〇工区」という標識が現れ第2工区が最初に気付いた標識だったが高野竜神スカイライン手前まで第22工区まで見受けられ道はよく整備されている。大滝に近付いて赤い橋を渡って登り返すと一軒の廃屋が現れた。半分屋根が落ちているが半分は雨をしのげそうだ。

 大滝の村に入ると舗装路に変わる。道標に従って暫く行くと村の中心部に出て新しい公衆便所もある。この辺りから小辺路は民家の軒先を通る事が何度も出てくる。余りにも民家の軒先を通るので村の中心部に出て新しい公衆便所の先で右折したのが間違ったのではないかと引き返すが直進先は村の集会所がある広場と神社だった。

 これで14分ロスをする。45分程で高野竜神スカイラインに出る。元旦なのに車がバンバン走る。スカイラインを30分歩いてようやく山道に出る。この分岐の案内で大股に直接出る道がある事に気付く。国土地理院の地図にも記載されていたがルートは北股に出るものと思い込んでいたのだ。ここから水ケ峰を越えて約30分で舗装路の林道タイノ原線に出る。この舗装路を20分強歩くと「みどりと歴史のビューポイント」である東屋のある見晴らし台に着く。ここで17分休憩する。

 重い革靴なので舗装路ばかりはうんざりする。左足首の革靴の入口の輪が当たる所の痛みがひどくなって来る。ここから25分間舗装路が続き山道に入るがこの先2度林道タイノ原線と交差してもう2回舗装路を歩かされる。大股への下りで両足の親指の内側に本格的にまめ(靴擦れ)を作ってしまう。革靴と足が合っていないのだろう。久し振りのまめで痛い。

 大股からは登り中心だから足首とまめは楽だ。今回は未だ明るい17:00に伯母子岳山小屋に着く。直ぐ三田谷側に水を汲みに行く。気温は前回程寒くはない。でも0゚Cに近付くだろう。小屋の情報の通り5分程の所に鉄の橋がかかっている小さな谷にチョロチョロ流れる水場があった。明日もここを通るが止まって汲むのは面倒なのでペットボトルも利用してプラティパス2つに4Lたっぷり汲む。

 今日は心配していた六甲逆縦走した時痛めた右足の右の中央右辺りの出張っている所は少し疼く感覚もあったが後遺症が悪化する事がなかったのにほっとした。しかし新たに発生したトラブルの足首とまめの痛みが明日は引いている事を願いながら20時過ぎに寝る。

1月2日(金)

 良く寝て朝5時過ぎに起きる。夜中に水が凍らないようペットボトルなどの水をザックに入れて置いたが0゚Cに近かったろうが予想通り0゚C以下にはならなかったようだ。出発前小キジに外に出ると朝焼けで山の端が赤くなって美しい。7時前に出発し、7時過ぎに日の出の様相であった所でデジカメに写せそうなぴったりの所だったので何枚も写す。しかし歩き始めると今日も足首とまめの痛みが痛く最初から下りなので良くならない。雪や枯葉がある所ではクッションで和らげられるので多少は助かる。

 途中に上西集落跡地手前で道が崩れていて上方に迂回路が作られていたが本道を行く。上西集落跡地の先で「熊野参詣道(小辺路)世界遺産登録予定ルート」と書いた標識が現れたのでそちらの方面に登り始めると雪の中の足跡が直ぐ途切れて引き返している。雪は深くはなく10cm程度だから道を失う事は無かろうが、足首とまめが痛いので初めて通るので、焦らずに済むのと時間のロスを生みたくないので軟弱にも国土地理院地図に載っている巻き道林道ルートを取る。足の痛いのを我慢しながらひたすら下る。明日の熊野本宮大社までの予定もキャンセルしたくなる。

 なるべく痛まないように特に足首の痛い左足は右が下る斜面にならないよう石や凹凸を選び、ひどい左親指のまめをカバーするため下り傾斜にならないよう選びながら進むので得意な下りも形無しである。傾斜の緩い巻き道でも尾根の左側なら左下がりになって楽だが今回は尾根右側が多く足もとの起伏を選択しながら進まざるを得ない。少しきつい下りになると蟹の横這い状態になる。

 7:00に出発してからこれを延々繰り返して3時間半後の10:36にようやく三田谷の登山口に着く。辛いアスファルト道路の方が痛みが少ないので下りより速く歩ける。三浦からは基本的には登りなのでほっとする。三浦の登山口から民家の中のような横を通過する。途中変わった形の大木も生えている。また途中で三十丁の水と書かれた水場も現れる。登りは快調だ。

 三浦の登山口を11時過ぎに出て峠まで標識に所要時間3時間と書いてあったが13:23に着いたので2時間半弱で着いた。この登りで調子が良いので明日どころか予定の奥駆けにも入ろうという気分になる。三浦峠手前にトイレがあるテントを張れる広いスペースがありすぐ上の峠でも林道横に広いスペースがあった。この林道はわだちがあったので車で来られる所だ。

 ここで標識に「西中まで11.2km」とある。下りなのでぞっとする。3時間は痛い目を我慢しなければならない。峠から最初は動物対策の網の扉をくぐって暫く進む。次第に良くはなるが最初は道は狭く悪い。途中西中への新道分岐や山道と書いた分岐が現れるが全て古道を取る。途中小さな観音堂が現れる。西中に近付くと戸締まりがされた恐らく人の住んでいない家が現れ始める。その内アスファルト道路に出る。

 足が痛いので2軒目の廃屋で泊まろうかと物色するがどうも泊まる気がしない。3軒目の家は人が住んでいそうだった。この先再びアスファルト道路になるが左右どちらに行けば良いか迷う。右は登りで左は下りだ。標識は熊野古道と書いてあるが200m右に行けば新道で三浦峠に行くの道と書いてあるので逆方向のような気がするが偵察に進むと直ぐに地元の老人に出会う。

 熊野古道で西中に行くのはどちらかと聞くと下るように言われるので折り返す。後で思うにこの人は熊野古道の詳しい事を知らないのだろうと思う。真下の民家の中を通過するのかと思って下ると犬が吠えて何と無く躊躇してしまい引き返してアスファルト道路を下るがどうやら間違ったようだと気付く。そのまま暫く下るとやっと上から下ってくる標識が見付かる。

 恐らく最初を右に取って200m進んだ所からの分岐につながっているのだろう。道を熊野古道以外に進んだのは上西集落跡地の先の分岐からと今回で2回目になる。その後熊野古道を下ってようやく17:05に西中の登山口に出る。当初は昴付近でテントを張ろうと思っていたが西中の登山口から10km程あるのでとても無理だ。今日はどこで泊まろうかと思いながら下って来た。河原にテントを張ろうと思っていた。

 場所を物色しながらアスファルト道路を進んで西中のバス停を越えて宮平の神社を物色するがテントを張れる雰囲気ではない。前の公衆便所の横から河原に下って川原でテントを張る。途中でトラックの置いた物置扉の無い屋根と壁だけの通々のプレハブが見付かった。今日も六甲逆縦走した時痛めた右足の右の中央右辺りの出張っている所は悪化する事が無く助かった。

1月3日(土)

 朝起きる時間を村営バスで昴まで乗ろうと出発時間の7:36に合わせて5時半頃に起きる。朝一番なのと平坦地なので足の痛みは小さく調子良く余裕で玉垣内バス停に向かうがバス停でがっくりする。昨日宮平バス停で見た時刻表を注意して見ておらず備考欄の「日祝日運行」と読んでいたのが「日祝日運休」だったのだ。「日祝日運行」は9:00である。毎日運行は10:13と13:59の3本だけで9:00まで時間が長いのでヒッチハイクを狙う。

 永井の集落で出発しそうな軽自動車があった。その車が来た時手を上げると停まってくれた。昴まで乗せて欲しいと頼むとOKが出た。ラッキー!。昴で働く従業員の中年女性だった。歩くと6km程あるので1時間以上かかるが車に乗せてもらったおかげで昴に15分で着く。ここからは果無峠までは登りになるので足の痛みは小さいのでたいして気にならない。

 柳本の最初の取り付きで迷う。民家の中を登って行くと踏み跡はあるが草で覆われて最近人が歩いた形跡が無いので一旦民家まで引き返して民家の外周を川沿いに回るとアスファルト道に出る。この道を登って行くと果無峠への登山口に出た。この登山口の横に登って来る道を見付ける。ここを下って見ると村の墓場につながっている。

 最初に登ったルートの途中右手にあった貯水タンクの方とつながっていたようだ。ここも取り付きがはっきりしない。登山口から先はしっかりした道だった。途中、果無の集落を通過するがここでも3軒程民家の中を通過する。この辺りから観音菩薩座像の石像が現れ始める。最初に気付いたのは29の数字からだった。気付くたびにデジカメで撮るが登るのに集中していて数字が飛び飛びに見付かるので途中見逃している観音菩薩座像の石像も多い。

 20番目の観音菩薩座像の石像がある観音堂はホースで水が引かれ20人程度泊まれそうな小屋もあった。8:37に登山口を出発して快調に登って約3時間で果無峠に11:34に着く。登りは快調だったので明日以降奥駆けに突入する気になっていたがここから下りになり大変だ。蟹の横這い状態が続く。良い天気が続いて残念だがこの調子では奥駆けに突入するのはとても無理だと観念する。

 2時間を過ぎると本宮の町が見える所まで来たら木製階段が現れる。足に優しくなる。途中まで八木尾からバスで宿泊予定の湯の峰温泉に行こうか予定通り熊野本宮大社まで中辺路ルートの伏拝王子から祓所王子を経て歩こうかと迷っていたが最後の木製階段のおかげで歩き続ける決意ができた。

 14:23に八木尾にたどり着く。八木尾からの竹の本まで20分のアスファルト道路も辛くない。40分で伏拝王子に着き、20分でで三軒茶屋に着き40分で熊野本宮大社すぐ手前の祓所王子に着く。熊野本宮大社バス停に16:50に着く。バス停の時刻表を見ると16:45に前のバスが出発した所で次は17:45の最終だ。

 予約してある湯の峰温泉「てるてや」(0735-42-0255)に電話して明日奥駆けに早朝出発したいので本宮方面始発は7:04では遅いので5:00に主人に送ってもらう事になっていた予定を中止すると連絡する。朝食もおにぎりと言っていたのを普通に食べさせてもらえるよう頼む。バスで湯の峰温泉に着くと「てるてや」のおかみさんが出迎えてくれていて場所が判らなかったので助かる。

 宅急便で送っておいた後半用の荷物が部屋に入れられていた。着替えなどは使うが食糧は不要になる。小さい湯舟の温泉だが早速入ってゆっくり浸かってほっとした。夕食に鹿刺が出てきた。明日の出発を9:12発八木行きに決める。

1月4日(日)

 朝再度ゆっくり温泉に浸かる。出発前に宅急便で送り返す荷物とザックで持って帰る荷物を仕分ける。宿賃は正月料金で1泊2食付きで税込み7,500円。(平日だとHP見たで6,000円酒2本で800円。)バスは正月3日だけ近鉄高田止まりになっていた。帰りはJR五条で13:11にバスを降り14:03の列車でJR橋本まで乗った
(200円)。

 14:32に南海の快速急行に乗り換えて(670円)難波(15:18)でJR難波まで歩いて(11分)大阪駅でソバを食って六甲道まで(620円)帰って来たら17時を回っていた。家に帰ると瑛子がビデオ漫画を見ながら留守番をしていてくれた。宅急便は送り出しの時は10kgで1,060円(持込)だったが返送時は1,360円(集荷)で荷物が軽くて小さくなっているのに寸法が大きいと判定されていて高くなっていた。


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