10月5日(木)
飲み会を終わって20:30に家に帰り、風呂に入ってから準備する。ザック重量は19kgで、前回よりも水分1kg少ない分が減っている。JR六甲道を22:51の快速に乗り、大阪に23:13に着く。桜橋口から23:30発新宮行きの西日本JRバスのルナメール号に乗ってウィスキーを飲みながら寝る。今日の天気予報では土曜が最も天気が良く次第に崩れていくようだが日曜の昼まで何とか天気は持ちそうだ。
10月6日(金)
朝5:56に新宮に着く。新宮駅付近での食糧調達はJR駅の立ち食いうどんが既にオープンしていた。また、殆ど何も無いコンビニも開いている。パンやカップラーメンとアイスキャンデー・菓子類が少々あるだけだがペットボトルの2リットルが手に入るのはここだけである。奈良交通のバスに乗り換えて新宮を6:10に出発する。熊野本宮大社に7:35に着く。最初に一度だけは参拝しておこうと百段以上を登って本宮をお参りする。社務所でお守りを見ていると「厄徐健脚御守」があったので気に入って500円を出して買ってしまった。(結局は瑛子に取られてしまったが)
ここから下向橋を渡って前回の失敗箇所である山在峠に近い越吹宿跡を狙ったが道路工事中であり残念ながら作業員に阻止されてしまう。クソッと思うが仕方ない。引き返して下向地区から越吹峠方面の道を農家のお婆さんに聞く。気持ちはとても良いお婆さんが答えてくれたが要領が判らず迷った上決心して登り始める。
磁石で確認しても間違いなさそうだったが途中で山在峠方面近道の分岐が現れる。恐らく方向的にも間違い無さそうだったのでそちらに決断する。風が無く暑い。暫く進んで結果オーライであった。奥駆道に合流してほっとして直ぐに越吹宿跡に出る。直ぐにこの先500mで崖崩れで通行止めの標識が現れる。9月15日以降未だ復旧していないようだ。山在峠は直ぐだった。
この前は雨の中で薄暗くなっていた時通過したので気付かなかったが今回は意識しながら来たのではっきり判る標識が目に付く。これで前回のクリアができた。ここからが今回の本番である。これからは尾根通しだが大峰山系の尾根の登りは直登が殆どで、五大尊岳や大森山など急登で結構厳しい。
旧篠尾辻ははっきり判らなかった。ラジオを聞くと鳥取県で大地震があったらしい。神戸の灘区でも震度4と報じている。少し心配になる。千尋はびっくりしているだろう。早く帰って欲しいと思って居るかも知れないがここではどうしようもない。まずきるだけ早く電話しようと考える。玉置神社は大きな神社らしいのできっと公衆電話は玉置神社にあるのではないかと思う。
アスファルトの林道をクロスする点が玉置辻(本宮辻)であった。ここから徒歩20分という尾根筋の表示と車が通れる緩やかな幅広い道の50分という表示がありどちらが正しいのか判らない。尾根筋もの玉置神社への道は神社に近付く程幅があり傾斜も緩く手入れが行き届いているので快適だ。神社に着くともう16:30を過ぎている。これから先に進むとツェルトを張らずに寝る所は当分無いのでここで本日はストップとする。
神社内を探索する。公衆電話は見付からなかった。次に見付けられるのは山上ケ岳の所か洞川か前鬼に下った所しか無い。駐車場を捜しに行く。駐車場への道はほぼ水平道だが結構離れている。駐車場そのものは小さく10台程度しか止められないように思える。またその先も神社周辺と同じジャリ道だ。道も1車線半位しか無い。
神社に帰って明日の進行方向を確認するが、玉置山方面しか道標がない。本殿では雨避けは床下しか無い。付近で捜すと社務所の向こうに休憩所兼喫煙所に吹きさらしだが屋根があった。社務所には宮司さんが未だ見える。休憩所兼喫煙所を使わせて貰っても良い許可を得る。ここでゆっくり夕食を取る。途中で宮司さんに奥駆道を聞くと思った通りとおせんぼをしているだけで玉置山の巻き道があった。
安心してウィスキーを飲みながらの夕餉を楽しむ。風は殆ど無い。明日の天気予報はまずまずだ。少なくとも持経の宿までは行きたい。できれば深仙の宿まで行きたい。しかし前に深仙の宿では水が出ていなかったので泊まるのは水補給面で不安が残る。どうしようかと思いながら寝る。
10月7日(土)
朝明るくなりかけでヘッドランプの不要な5:55に出発する。玉置山の巻き道は快適だ。半分程回った所で玉置山から下ってくる道と合流する。ここへ下ってくる道がカツエ坂であるとの標識だ。更に進んで玉置山からのアスファルトの林道と合流する。多分駐車場とつながっているのだろう。アスファルトの林道を少し下ると展望台が現れる。水の心配をしないならここでも十分な寝ぐらにできそうな東屋等がある。
ここから暫くはアスファルトの林道や、アスファルトの林道に平行した登山道を行ったり来たりだ。しかし834mピーク迂回路に近付く迂回路の取りかたを間違える。本当は林道に平行した登山道を登るべき所だろうと思うが今回はほぼ水平迂回路を取る。途中何回か分岐が現れるが下りになりそうな道ばかりなので元の林道方向の道を取る。次第に獣道状になって来る。引き返そうかと思いかけた所で本来の奥駆道に出てほっとする。
東中方面への幅広い林道への分岐点。岩の口は上葛川への分岐点だ。こちらへ行けばかなり楽にバイパスすることになる。ここから小さなピークをいくつか越えるが結構きつい。途中いくつかの金剛が現れる。その内峠状から急登を少し登った所に貝吹金剛が現れる。ここは大岩の足元に祭ってある。その後直ぐに峠状の貝吹野が現れる。
暫く行くと追い付いてくる人がいる。びくりする。まさか人に出会うとは思っていなかったし、追い付かれるとは予想だにしなかった。ぐんぐん追い付いて来る。良く見ると行者のようだ。鈴を鳴らし白い足袋を履いて杖をついている。しかし服装は完全な装束ではない。香精山への登りで道を譲る。小さなナップサックの軽装である。直ぐに香精山へ着くと先程の行者は香を焚いて呪文を唱えている。邪魔しないようそっとやり過ごす。
注意しながら以前R425へ間違って降りてしまった地点を見付けようとして進む。地図で確認しながら思った通りのポイントでようやく発見できた。これで前々回の借りを返した気分になれる。四阿宿跡(東屋岳)で昨夜準備した行動食のジフィーズの鳥ごはんを食べていると再び行者他が追い付いて来た。
彼が話し掛けて来た。尋ねられて奥駆けを目指していると言うと相当厳しいし途中断念するのが当たり前だと言う。また相当な行者でさえかなり早いポイントで断念することが多いので今日は仙宿山小屋までがせいぜいだろうと言う。ましてや全行程の奥駆けを目指すのは至難の技で並大抵の人では不可能だと宣う。そうかも知れないが出来るだけ頑張ろうと思っていると言ってみた。
行動食も食べ終えて出発しようとすると彼は私が去るのを待っていたようだ。早速呪文を唱える準備を始めたので再び先に出発する。地蔵岳を越え槍ケ岳登りで再び追い付かれて行者に先に行ってもらう。葛川辻も越え暫くして笠捨山に着くと彼の行者は昼食を取っている。彼は今朝玉置神社に車で来て車を駐車場に置いて来て行ける所まで行って引き返そうと思っていたそうで今日はここまでとして、今から玉置神社に戻ることにすると言っている。
時間を見ると12:01である。私に対して、その荷物でそのスピードなら結構早いので休憩を多く取り過ぎなければ明るい内にぎりぎり持経の宿に着けるかも知れないと言う。なかなか鋭い指摘であった。行仙宿山小屋の扉は外からロックする方式だ。ここも快適そうな無人小屋だが水の補給はかなり下まで下る必要がありそうだ。
行仙岳への最後の登りでトラバースらしきコースがあったがパスする。倶利迦羅岳や転法綸岳への登りは結構きつい。途中ラジオで何度も天気予報を聞くと明日は午後から弱い雨になる予報だ。かなり疲れて平治の宿に着く。時間を見れば16:19だ。持経の宿まで明るい間に十分着けそうなので一服後出発する。
間もなく前方から遠くでほら貝の音が聞こえる。今頃先行する人が居るのだろうか。途中でテント装備の単独行の青年に出会う。挨拶をしながら一瞬、彼は今日どこまで行くつもりなのだろうか平治の宿までだろかと思っている内に通り過ぎて行った。持経の宿で泊まるつもりにならなかったのは小屋に大勢の人が居たからだろうかと思うと聞いておけば良かったと思うが後の祭りだ。
持経の宿に17:10に着く。戸を開くと案の定2人の先客がいた。いろりに薪をくべて何やら沸かしている。非常に煙たくて目が染みる。挨拶の後、まず明るい間に水を汲みに行く。小屋から水平に約300m程行った所に沢水が流れておりたっぷり4リットル汲む。小屋に帰って暫くすると日が暮れる。
2人組は今朝白谷トンネルの所まで車で送ってもらってそこから行仙岳経由でかなりバテながらこの小屋に着いたと言う。明日は深仙の宿まで行く予定のようでコースタイムの1.5倍で計算している。かなり遅いペースのようだ。年令は暗くてよく判らないが年輩の方は口調から60歳前後で若い方は45歳前後と推定した。この小屋は初めてのようだ。既にマットとシュラフを敷いてあった。
年輩の方から酒はあるか日本酒もあるので飲まないかと誘われたが明日の自分のペースを維持したかったのでウィスキーを持っていると言って有り難くノーサンキューと表現した。彼らは明日朝6時に出発するような計算で目的地に何時頃頃着くかを計算している。明日何時出発かと聞かれる。6時前を想定して明るくなったら出発すると答えておいた。
寝る前にトイレに行くと年輩の方がほら貝を吹いて「ああ気分がすっきりした」と言っていた。ほら貝の主はやはり彼だったのだ。小屋に戻って煙たいので自分の寝るスペース付近の窓を開けっ放しにして8時半頃就寝した。2人もほぼ同時に寝た。
10月8日(日)
腕時計の目覚ましを昨日のままの4時にセットしてあったが気付かず、5時半に目が覚める。朝食にラーメンを作って食べる。行動食のジフィーズの鳥飯や赤飯は昨夜に作ってある。この小屋泊まりはテントやシュラフ関係を撤収しなくてよいので助かる。それでもコンロを使った朝食にしたので昨日より出発は遅れてしまい6:30だ。出発する頃彼らは未だ薪に鍋にかけ始めたばかりなので私より1時間程出発は遅れそうだ。
「お先」と声を掛けて出発する。空はどんよりしていて時々弱い霧雨が降っているような気がする程度だ。最初からそこそこの急登である。天気予報は午後から雨が降り出すと言っている。雨が降り出す前にできるだけ距離を稼いでおきたい。12時には少なくとも釈迦ケ岳は通過しておきたい。出発から1時間も経過しない内に証誠無漏岳付近で後方からほら貝の音が聞こえた。恐らく彼らの出発なのだろう。
今日で3日目で少し筋肉が疲れてきているがラジオを聞きながらそこそこ快調に進む。涅槃岳からの下りで一度スリップ転倒して手のひらを草の根っこで突く。土が緩くて滑り易い。この辺りから解放的な空間になってくる。少し下ると人が倒れているのに気付いたとたんその人はガバッと起き上がりいきなり水をくれという。驚く。
年格好は60過ぎの男性でテント装備程度のザックの大きさである。そのような装備なのに何故水をくれというのか腑に落ちないでいると、昨日地蔵付近で迷ってテントを張った。水をこぼして一滴もないと言うが一晩の内に飲み尽くしたのだろう。必死の様子なので仕方なく500ccのペットボトルをザックから取り出して手渡す。これ以外はチューブでしか飲めるものは無い。この人は一気に全部飲んだ。もっと無いかと聞かれたが、私もこれから弥山まで行くのにあてにならない深山の宿しか水場は無い。
最後の切り札を全部差し上げる気にはならないのでこちらの状況を言って断る。最悪この人と同じように水に飢える状態になる可能性があるのだ。その人はようやく「山で水をくれと言うものではないが」と言い訳をした。またこれから先どのくらいあるかと聞く。具体的な聞きかたではないが持経の宿のつもりだろうと解釈して大きなピークを3つ程越えれば着くと答えておいた。それにしても水場の確認や持つべき水の量も判らずこんな奥深くに入り込んでくるなんて大丈夫なのだろうかと思う。後から2人が来ると情報提供して別れた。
剣光門を過ぎて開けた滝川辻を8:39に通過する。般若岳から地蔵岳に9:20に着く。ザックを降ろして吊していた地図紐が短くて見にくいので修正する。10分休憩して9:30に出発する。出発後稜線の風が西からの風に変わっていた。暫くすると再び般若岳という標識が出てくる。前も確か同じ名前の山が2回出てきた記憶があったので確か般若岳だったのだろうと解釈して通過した。この風向が変わったのと同じ名前の山が2回出てきた2つの現象でおかしいと思って磁石を見てるべきだった。
解放的な道を下って標識のある所に近付くと2人が休んでいる。どこまで行くのかと聞かれ弥山だと答えると方向が反対ではないかと言われる。そんなばかなと思って標識を見ると何と滝川辻の標識である。磁石を見ると南方向に向かっている。標識でも向かっている方向に玉置山と書いてある。
2人をゆっくり見ると何と昨晩一緒に泊まった人達だ。時計を見ると10:01だ。どこまで行ったのかと聞かれたので地蔵岳には着いたと言うと先程地蔵で迷ってテントを張った人に会ったと言う。水をくれと言った人のことだろう。間違いがはっきりしたので挨拶してすぐ引き返した。どこで間違ったのだろうかと考えながら進む。
よく考えると地蔵岳の頂上で10分休憩した後出発した時に勘違いして元来た方向に下ってしまったのだ。余り確かめず思い込んでいたようだ。なぜそのように勘違いして思い込んでしまったのかきつねにつままれた気分だ。地蔵岳に再び着いたのは10:37で結果的には1時間20分近くロスしてしまった事になる。ガックリ来る。ただでさえ弥山まで明るい間に着くのは難しそうなのに1時間以上のロスはこたえる。
ここからも太古の辻まで明るく開けた所が多い。嫁越峠で腹が減って来たので赤飯を食べながら今日はどこまで行こうかを考える。1時間以上もロスしたので明るい内には弥山に着くのは困難な事と今にも雨が降りそうだし深山の宿の香精水は当てにならないし結構太ももの筋肉も疲れて来ていることから今回は南奥掛の完遂のみとして太古の辻から前鬼口に下ることとする。
前鬼口のバス時間を見ると14:51である。現在時間は10:53でこれから約4時間ある。前鬼口までのコースタイムは前鬼の小仲坊まで3時間20分と前鬼口までが2時間15分の合計5時間35分だから急げば何とかなりそうだ。できれば小仲坊には13:00に着いていたい。その為には太古の辻にはできれば12:00より前の出来るだけ早い時間に着いていたいと計算する。
しかし天気予報通り12:00を過ぎたあたりからついに雨が降り始めて来た。太古の辻まで頑張ったが12:29にしか着けなかった。しかし小仲坊までのコースタイムの1時間を30分で頑張ればいいやと思い直して下りを頑張る。しかしこの考えは甘かった。六甲縦走と違い下りの一歩一歩の段差が大きく滑り易い。雨は樹林帯の中では最初は葉っぱで遮られて殆どかからなかったが小仲坊に近付く程また時間が過つ程葉っぱに保水力が無くなって来てボタボタかかるようになって来た。
スピードが出せないばかりか沢を横断するポイント2箇所で迷ったためにむしろコースタイムより遅い1時間15分後の13:44に小仲坊に着く。それでも未だ1時間強あるので下りで走り易いので何とか間に合うかも知れないと思って殆ど休まず出発する。公衆電話をかけたかったが時間が無い。重いザックを背負って走って車止めゲートの所まで10分で着く。
さすが3連休だ。車が多い。人も何人か見える。この内の1台は温泉の1ボックスカーだった。誰かを迎えに来ているのだろうか。この場は直ぐ通り過ぎて走り続ける。しかしずっと下りだけではなく時々緩い上りもあるしザックも重いので走り続ける訳にはいかない。暫く走っていると後方から車が近付いて来る音が聞こえたので止まって振り向くと車も停まってくれて乗らないかと手招きしてくれているではないか。超ラッキーである。
有り難く乗せてもらう。運転の男性は私と同世代だ。昨夜家を出て今朝3時から登り始めて釈迦ケ岳に登って来たそうだ。この人も相当山好きのようだ。加藤文太郎の話しも出て来た。職場に文太郎の娘の知り合いがいると言っていた。冬の大峰もいいと言ったので、どこから入るのかと聞くと和佐又の方から入ると言っていた。前鬼口には14:25に着いて降ろしてもらう。
まず千尋に電話を掛けるとケロッとしていて大した被害は無さそうだ。神戸の揺れはゆっくりした横揺れだったそうで外に出ていた千尋は地震には気付かなかったそうだ。これで一安心だ。ザックを整理して待っている時、背中の皮膚が痛いのに気付いた。最初は何故そんな所が痛いのか判らなかったがよく考えると上半身はモンベルのランニングシャツ1枚で重いザックを背負って20分程走ったため擦れて皮膚がやられたのだ。2〜3日痛みで背中でもたれられない程だった。
バス時刻を確認すると14:51ではなく14:47と書いてある。車に乗せてもらっていなければ恐らく間に合わなかっただろう。大和上市を発車ギリギリの17:08の阿倍野橋行きの特急に乗れ、天王寺から各停に乗ると新今宮で運良く大和路快速が連絡しており大阪に18:18に着く。家には19:30過ぎに着いた。 |