奥駆け日記(5) (H12年11月)

11月3日(金)

 JR六甲道から7:31に乗る。(昼得切符:280円)大阪に7:53に着き、地下鉄で8:01発で8:16に天王寺に出る。(270円)阿倍野橋から吉野線に乗る。(950円)大和上市への出発は8:50の急行で間に合うと勘違いしていたが、地下鉄でこのザウルスの記録を見てチェックしてると8:10がぎりぎりであるのを発見した。時間の余裕は全く無く、天王寺で地下にある駅近のam-pmのコンビニで当日食糧を調達する積もりが買えなくなった。

 阿倍野橋をぎりぎりの8:20に乗り大和上市に9:50に着く。今日の天気予報は曇り後晴れで降水確率は30%。明日が晴れで降水確率は20%。明後日は曇り時々雨で降水確率は50%である。今日中に出来るだけ稼いでおきたいがツェルトを張る覚悟がない限り深仙の宿までになるだろう。

 前鬼方面行きの奈良交通のバスは9:55なので大和上市でも殆ど時間が無い。天気予報と違い小雨が降っている。バスは満員で10人程度が立つ程だ。たまたま早く電車を降りたので最後部に座れた。大和上市で駅前に1軒ある個人商店でパン類を買うつもりだったが座る事を優先したため買えなかった。やはり時間の余裕の無いのはどうしようもない。

 バス乗り換えポイント(10:25〜10:35)の杉の湯では最後部から降りるため料金(950円)の支払いが最後になり乗り換えバスでは立たなければならなかった。柏木と和左又口で降りる人がいるだろうと思っていたが柏木では誰も降りなかった。和左又口で大半が降りたのでようやくゆっくり座れた。ところがバスは運転手が何やらつぶやいた後、白川からUターンして河合まで戻ってから再び進み出した。意味が判らない。お陰でバスは遅れて12:10に前鬼口に着く(1200円)。

 前鬼口で私以外に3人降りる。若者1人と私と同世代の夫婦だ。トイレや準備している間に若者が先に出発する。10分後位に夫婦も出発しそうだった頃に先に私も出発する。小雨がずっと降っている。新しく買ったフード付きのザックカバーを着ける。雨が気になる程度の降りの時だけフードを被る。この程度でも被る登りは暑い。時々車が通る。バスが遅れた事もあり意を決して車に手を上げる。

 ラッキーにも停まってくれた。軽四の車に2人が乗っていた。写真を撮りに七重の滝まで行くのに乗せてもらった。途中若者を追い越した。後ろの夫婦は2人なので乗せなかったと運転手は言っていた。ラッキーであった。小仲坊に近付くと2人の登山者が体操しているのが見えた。小仲坊に14:00に着く。

 2人に挨拶をしてから水を汲みに母屋前の水場に行っている間に2人は消えていた。宿泊所に奥さんがいて準備をしているようだった。出発しようとしたら旦那も上から降りてきた。雨は強くないが憂鬱だ。両童子岩に着くまでに2人に追い付き追い越した。さすがに雨が降っているだけあって前回涸れていた最後の水場にたっぷり水が流れていた。その1つ手前の沢でも水が汲めた。太古の辻に16時に着く。深仙の宿には16:30に着く。

 小屋に2人の先客がいて後2人来る。出来れば狭いのと頂潅堂の方がきれいのでそちらに泊まって欲しいと言われる。お堂の扉を開けて荷物を放り込んでから直ぐに精香水を汲みに行く。水が岩壁伝いに水を溜めるコンクリート桶にたっぷり流れ込んでいる。しかし蓋がきっちり閉まっていないので葉っぱが多く浮いたり沈んでいたりするので余りきれいには見えない。

 その横にも岩から流れ込んでいる岩の水たまりの方が量もたっぷりあるしきれいに感じたのでそちらの方で4リットル汲む。こちらが無ければコンクリートの方でも問題ないが何年か前に体験したように水が流れておらず溜まった状態で腐った葉っぱが沈んでいるようではせっぱ詰まらない限り飲む気にならない。

 お堂に帰って夕食の準備していたら追い越した2人がやって来た。初めからこのお堂に泊まるつもりだったと言う。広い方のスペースを渡す。小屋の2人とは途中で話しをしただけで小屋に泊まるつもりはないそうだ。やはりこちらのお堂の方が快適だ。天気予報は今日は午後晴れる筈がずっと雨で外れであった。夕方からはずっと雲の中に居るようで視界は悪い。

 明日は曇り所により雨の予報である。笹が多いので明日はロングスパッツをしっかり着けなければならない。今日の状態から推して明日もある程度の雨を覚悟しなければならないだろう。2人は常識のある人で同室しても厭な人達ではなかったので良かった。彼らは明日私と逆方向で行仙岳に向かうそうである。夕食後20時前に一同寝る。

11月4日(土)

 朝4時20分頃起きる。彼らも同時に起きる。小キジに外に出ると雨は降っていない。星が僅かに見えるが雲が多い。昨夜の準備が良かったので5:15に出発できる。出発する頃はまたガスがかかってきたが雨にはならなかった。釈迦ケ岳までも笹が多くその先のまで笹の多いポイントのようだ。まだ平坦な所や緩い斜面は背が低くて雨露はかなりロングスパッツで防げて良いが急坂で笹が生い茂っている所では膝から上がビショ濡れになる。スピードは全く出せない。

 道は土の所はグズグスして避けて通らなければならない所や土と岩が混じった所は岩が濡れていて非常に滑り易い。岩だけの所でも苔が付いているようで非常に滑り易い。木の根っこも多いが濡れていると非常に滑り易い。ストック(トレッキングポール)はバランスを崩しそうになった時に有効だ。でもストックはスピードの確保にはならない。せいぜいスピードを大きく落とさない為に有効である程度だ。

 釈迦ケ岳から孔雀岳・七面山辺りまで笹で次第に膝から上が本格的に濡れて来る。ついにはズボンに含まれた水が下に伝って行き、靴下にまで濡らし始める。足が濡れてくると気力がそがれる。
天気予報を聞いていると太平洋にある前線が次第に北上して午後雨になると言っている。急がなければならない。しかしスピードは出ない。体調は悪くない。

 孔雀岳辺りに地図で鳥の水とあるポイントらしき所で水がチョロチョロ流れている。なだらかな斜面から涌き出ておりコンクリートでパイプを固めておりパイプから水が出ている。少し早いがここで水を汲む。七面山を過ぎて人に出会い始める。最初の3人はバラバラの単独行者であった。しかし次は30人程の大集団である。先頭の40代のサブリーダーらしき人が道を間違え易いという注意をコンコンと私に宣う。後ろに控えている中年のおばさん方を意識したポーズなのかと思う程である。山で出合い頭に注意を受けるのは初めてであり面食らったが「はいはい」と聞いてやり過ごした。

 暫くして我慢しきれず船のタワを過ぎてから靴下を履き替える。3回分の予備の靴下を持ってきたのは大正解である。しかし履き替えても靴がしっかり濡れているため湿った感じが続いてすっきりしない。ラジオで天気予報を確認しているとどうやら夕方から雨になる模様である。八経ケ岳までは人には会わない。
八経ケ岳に近付くと声が聞こえ始めたので八経ケ岳に近付いたのが判った。

 八経ケ岳ではさすがに人が多い。直ぐ近くの弥山からどんどん登ってくる。弥山でも人が多い。今夜のアルコールが少ないので小屋の売店に置いていないかと捜すが売店が見付からなかった。行者還岳方面に向かう人がいる。13時も過ぎた今頃からどこに行くのだろうかと思う。行者遷トンネル西口の所に車を置いていてそこへ降りるのだろうか。5分程休憩してから出発する。

 再び下りは鬱蒼とした湿った森林の中なので泥々・グショグショ・ビショビショが続き非常に滑り易い。大きな段差下りで右足をひねり気味に着地した時に右膝内側に少し違和感が発生した。注意しないとやばいなという感じだ。その内に右膝外側もやばくなって来た。しかし注意しながら進めば何ともない。聖宝宿跡では前に来た時の記憶が蘇ってきた。弁天の森辺りも泥々だ。天気予報は朝方と変わって昼過ぎまで持ちそうな事を言っていたが未だ持っているので益々急がなければ雨に会うと焦る。思っていたより長い下りであった。

 今日は最低行者遷トンネル西口分岐の先の避難小屋まで行き、もし避難小屋が使えるならば雨の情況によっては泊まってもよいと考える。
前回来た記憶では避難小屋の床の板がかなり剥がれており、内心まず無理だろうと覚悟はしている。その場合は行者遷小屋まで行けば良いのだ。しかしこのペースで明日はどこまで行けるだろうかと思い始める。天気予報はまた少し変化したようで、今夜から明日朝まで雨が降ると言っている。雨の情況や速く歩けないようなペースだったら山上ケ岳から洞川温泉にエスケープするも視野にいれなければならないかなと思い始める。

 行者遷トンネル西口分岐に着いて休んでいると行者遷トンネル西口方面に行く人ばかりが通り過ぎて行く。やはり行者遷トンネル西口の駐車場に車を停めているとしか考えられない。避難小屋では付近にテントが1張り張られている。小屋そのものは前よりひどくなっており床は全く無くなっており根太だけが残っているため返って床面には寝られないし地面に寝るにしても根太が邪魔になる。また窓や入口が無くなっており屋根と一部の壁があるだけだ。泊まる気にならない。

 暫くして1486mピークだろうかここでルートを間違える。もう下るのみと思い込んでいたのが間違いの元である。本当は急カーブに右折しなければならない所を色々捜している内に本来の道を見逃して結局Uターンしてしまったのに気付かず15分ばかり元の方向に戻ってしまった。
標識が反対方向に出ているのに気付き磁石で全く逆方向に歩いているのに気付く。例え15分と言えど、やはりショックである。

 気を取り戻して元の方向に進む。もう本来ならば小屋に着いている筈なのにと思っていたらポツポツ雨が降り始める。16:30頃である。体力が無くなった訳では無いがもう笠をさす気力が無い。もうすぐだと思って気力で歩き続ける。30分後に行者遷小屋がガスの中から見えた。ホッとする。小屋に近付くと声がする。小屋に入ると奥の部屋に中年の2人が居た。暗くて姿形はよく見えない。

 入口付近にも部屋があり2段ベッド状の部屋で10人以上は泊まれそうである。奥の部屋は2人が居るのと暗くてよく見えなかったがもっと広く20人以上泊まれるそうである。中央の土間の所にある部屋は閉じられており無人の管理人の部屋なのだろう。入口側で彼らと別れて寝ることにする。外にはトイレもあるし部屋には毛布もあった。

 しかし隙間が多いので部屋の中までガスが立ち込めている。雨も降っているので物を乾かせる情況ではない。靴を脱ぐと履き替えた靴下がかなりジットリしていて足指が冷たい。ガスコンロで乾かすがなかなか乾かない。食事が終わる頃向こうの部屋は静かになったのでこちらも直ぐ寝る。明日朝の雨の情況が気がかりだ。

11月5日(日)

 朝4時半に起きて小キジをしに外に出ると雨が止んでいる。空はまだ雲が多いがガスは薄い。でも雨が降っていないので大歓迎だ。ゆっくり朝飯をとり準備して明るくなり始めの6:00に出発する。お隣さんは起きている気配は無い。小屋前のほぼ水平道を進むと小屋用水のホースが道に沿って引っぱられている。そのホースの先は垂直の岩場の上部から引かれている。量は多くないが流れていたのでここで水を補給することが可能だ。

 続いて行者遷岳の登りだ。梯子の連続の急登だ。急登終了後から少しゆっくり歩ける。しかしどれが行者遷岳か判らなかった。七曜岳の前後は鎖場のある岩場でストックは邪魔だ。行者遷岳から大普賢岳までは大きなアップダウンは少ない。何年か前にテント泊した稚児泊あたりから道は滑り易い所が少なくなって来て歩き易くなって来る。ややスピードも出始める。

 大普賢岳に着くと誰もいない。山頂は釈迦ケ岳と同じ広さ程度だが釈迦ケ岳のような銅像もなく標識も立派なのは無い。大峰山系で主要な峰の大普賢岳に今時分誰もいないのか。へえそんなものなのかと思っていたら。大学のワンゲル風のパーティーが登って来たので直ぐに出発する。和佐又山への分岐点までにも中年女性パーティーと擦れ違う。

 小普賢岳には気付かず通過する。大普賢岳からもなだらかで歩き易い。数年前に来た時に万歩計を落とした脇宿跡は平らで広いスペースだが湿っていて明るい気分には成れない所だ。女人結界門のある阿弥陀が森分岐からは乾いた明るい気分になれる道だ。しかし小笹宿前後は再び濡れて滑り易く湿った暗い感じに戻る。この小笹宿に着けばもうすぐ吉野だというような気分だ。

 驚くことに山上ケ岳に着くと誰も居ない。信じられない。いくら寺院や宿坊や茶屋が閉じられていても3連休の今時分で10:30も過ぎているのだから洞川から大勢登って来ていてそうなものなのに。インスタント鳥飯など昼飯を食べながら休憩しているとやはり10人位の団体が上がって来た。しかし山上ケ岳からの下りで洞辻茶屋までに人に出会ったのはたった5人だけだった。

 洞辻茶屋から先は荷物もかなり軽くなっているのもあって快調に進む。右膝を注意しながら。5番関では前回のように大天井ケ岳の方に行かないように注意して進む。百丁茶屋跡までの2つの水場は今回もしっかり流れており近付くにつれて沢の流れの音がしっかり聞こえて来る。百丁茶屋跡手前で中学生くらいの子供を連れた親子連れと擦れ違う。13:00を過ぎているのにどこまで行くのだろうか。

 百丁茶屋跡手前の道端の下った所の1本の切り株だけに立派な「きのこ」が目についた。今朝ラジオで「きのこ」の話しを聞いていたので今までなら通り過ごしていたであろうが、少し気になって足を止めてよく見ると切り株全体にきのこが被っており、高さが5cmくらいで直径5〜8cmくらいの笠で中心が薄い茶色で周囲の色は薄くなっておりぬめりで光っている。全体の印象は橙色の光った感じだ。小さなきのこも中には生えており高さ2cmくらいで直径1cm以下で笠の茶色が濃い。直感でこれは食べられるきのこだと思う。なめこではないかと頭をかすめるが普段見るより大きいので自信がない。

 急に少し採って帰ろうと思いチャック付きビニール袋に採取する。ヌルヌルして採りにくい。根の方のコケまで一緒にくっついてくるものもある。百丁茶屋跡で休憩しながら奥千本からのバスを調べると最終が15時である。時計を見れば13:40過ぎであり急げば2時間弱で金峰神社に着けるがとても奥千本からのバスには間に合わない。これから先アスファルト道が出てくる。踵が痛くなって来ているので出来ればバスにでも乗りたかったのだ。

 90丁を越えてからずっと林道のアスファルト道のルートをとる。あつこち崖崩れで道路の土砂が被っている。新茶屋跡を過ぎるとハイキングの高齢者団体を追い越す。踵だけでなく足裏全体が痛い。我慢しながら歩く。
早くゴールに着くことだけを考えて進む。15:40にようやく金峰神社に着く。早速千尋に電話をして下山した事を報告すると共に図書館できのこの本を借りて来てもらうよう頼む。

 金峰神社には観光の老夫婦何組がいた。金峰神社から下ると奥千本口では車が3台停まっている。誰か乗せてくれないかなと期待しながら大きな看板の地図を見ていると私より年輩の男性が声をかけて来た。「西行庵は行ってきたか」と聞かれる。質問の趣旨は来週お客を連れて西行庵に行く予定をしているが下の案内所で聞くと、金峰神社の駐車場から3分の近道があるがその道は分かるかというものだった。

 地図を見せながら何回もそばを通っているがそのような道は無いと説明してあげる。外の人にも聞いていたようで誰もそのような道は無いと言っていたようで私の説明でやっと納得したようだった。有り難いことにどこまでいくのかと聞かれたので車で近鉄吉野駅まで乗せてもらえた。ラッキー!!!家に19:20頃に到着する。千尋が借りてきてくれた本で調べたら採って来たきのこは「なめこ」のようだ。小さなきのこはなめこの幼菌であった。


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