奥駆け日記(8) (H13年11月)

11月20日(火)

 当初予定のあさってから登り始めると4日しかないので全大峰山奥駆は今の実力では難しい。明日も新たに休暇を取って明日から新宮からの南奥駆に入る予定にした。家で測ったザック重量は17.5kgであった。JR六甲道を22:31の快速に乗り大阪を23:30発のルナメール号に乗る。平日なので客は少なく3名だけだと思っていたら7〜8名はいた。でもがらがらだ。難波から高速に入る迄に30分弱も要している。新地付近の混雑がまだ厳しいようだ。いつも通りウイスキーを飲みながら仮眠に入る。相変わらずなかなかすっきり眠れない。

11月21日(水)

 高速道路の工事のためバスが定刻の5:51新宮着が多少遅くなり6:00頃に着く。いつもの所に大和八木行きのバスが停まっているがこれではないだろうと勝手に判断したのが失敗だった。すぐバスは発車した。バス時刻表を探したが見付からない。確か6:10発だと思ってJR新宮駅のソバ屋に行きかけそばを食べる。急いでソバを食べたがソバそのものが大変まずかった。

 バス停に戻ると係員らしい人からどちらに行くのか聞かれる。熊野本宮大社だというと先程6:02に出た所で次ぎは8時台だが熊野交通が6:50に出ていると教えてくれた。バス停の時刻表をよく見ると「大和八木行き」の途中に熊野本宮大社が出ている。ダイヤとルートが大幅に変わったのだ。6:02発だと前より多少でも熊野本宮大社に早く着くのは良いが新宮でソバを食べたり水を補給するような余裕が減るので痛し痒しだ。

 暫くしてようやく明るくなる。バス待ち時間にバス停の詰所で水1リットルをプラティパスに汲ませてもらう。ペットボトル500ccのを含めても1.5リットルだ。最近六甲半縦走した時には涼しかったのでそれ程水分を取らなかったので今回もこれで持つだろうと思っていた。甘かった。今日も含めてこの2〜3日は異常なくらい気温が高い状況だった。おまけに風が無い。天気予報は今週土曜日まで晴れで日曜日に崩れるが曇り程度のようだ。バスには最初2人だったが途中から乗り降りが少しあった。熊野本宮大社まで1,500円だった。

 熊野本宮大社でお参りして次に大鳥居方面から備崎橋を回る。七越峰への道を前に通った一番近いアスファルト道を避けて1/25,000の地図にあるその先の道を目指すがそのポイントに来ても見付からない。更にその先を捜している間に「出会いの里」の入口まで来てしまう。ここまで来てしまったら高山地区から七越峰への道にしようと思い始める。

 「出会いの里」から入って七越峰へ行けるかな?しかし一番近い道に取ったのと比べると大きな時間ロスだなと思っている時に中年女性が運転する車が来たので止めて尋ねる。七越峰へ行けるかどうかはっきり知らないようだが七越峰へ行くなら連れを「出会いの里」まで送るまで待っていれば送ってあげるという。まさか送ってもらえるとは思わなかったのでここで待っていればいいのかと問い返すと連れの70歳位のおばあさんがここから歩くと言う。2度びっくりである。時間のロスもあるので乗せてもらう事にする。

 車の中で聞くと「出会いの里」まで10分位だそうだ。何か悪い事をした気分である。七越峰への取り付きまで送ってもらう積もりが一気に七越峰まで乗せてくれた。女性は県道11号線沿いのトンネルを抜けた所で食堂をやっているそうだ。11号線といえば熊野本宮大社へバスで来た道の最後の方に通った道だ。店の名前を聞いたが直ぐ忘れてしまった。縁があったらまた寄らせてもらうと言って別れた。10分もかからず10:10に七越峰公園に着く。これでロスは少し挽回したが6:02のバスに乗りそこなったのと合わせると1時間はロスしているだろう。

 相変わらず五大尊岳や大森山はきつい登りだ。風が無く気温も高いので汗だくである。左膝は捻りながら着地しないように右踵はつま先歩きにならずしっかり着地するよう注意しながら登下降する。左膝は時々正面方向(北)がピリピリするが北東方向は痛みは未だ出ていない。玉置神社は遠い。途中で計算すると、早く行かないと玉置神社には明るい間には着けない事が判明した。

 せめて玉置辻手前の水呑金剛まで着かないとルートファインディングに苦労するからと思って頑張る。しかし膝や踵に注意しながらなのでスピードは上がらない。結局水呑金剛手前で暗くなり始め、玉置辻でほぼ真っ暗になった。当初時間的余裕があれば神社の先の展望台の休憩所で泊まろうと思っていたがもう暗くなってきたのでそれは諦めることとする。神社に着いたら前のように宮司に頼んで休憩所の屋根の下を貸してもらおうと考えながら進む。

 玉置辻から玉置神社への道は良く整備されて良い道だと思っていたら結構荒れていた。ようやくの思いで神社入口の手水(ちょうず)に着く。持参の水が大森山付近で切れてから水を補給できていなかったので喉が渇いており(我慢ができないという程ではなかったが)一気に水を飲む。前は若い宮司だった性か何も言われなかったが今回は50歳くらいの宮司で一夜屋根を借りるのを頼むと登山者は何をするか判らない。

 招かれざる客で火事を起こしたり動物に襲われたりすれば私の責任になるので困ると言われる。予想外の反応だった。本当は信者の行事の時しか泊めないが4,000円で素泊まりで泊めてやると言う。それなら先の東屋に行くと言うとそれも困ると言う。(恐らく追い出したと言い触らされるのが困るのだろう)電灯も暖房も風呂も布団もあるという。

 明日の出発を考えると寝袋やマットを片付けなくて良いし、電気をつけて夜明け前でも明るく作業がし易いのが魅力に感じたので素泊まりにしては少し高いが泊めてもらう事にする。建物に入って金を払う段になった時に若い別の宮司が入って来た。交替要員だそうだ。年輩の宮司が泊めるようになったいきさつを説明して4,000円もらうといったら若い宮司は3,000円だと言ってくれた。年輩の宮司は招かれざる客だから1,000円高く言ったようだ。

 部屋に入って直ぐ水を台所に汲みに行って部屋でコンロを炊いてスープやラーメンを作って食べる。石油コンロをつけると室内は広いが赤外線で体が暖まり濡れていた衣服が直ぐ渇いた。屋外で寝ていたらこれ程早く渇かなかっただろう。部屋の蛍光灯も使えるのでヘッドランプに比べて作業が非常にやり易い。文明の有り難みを改めて実感する。風呂が涌いたら連絡してくれると言っていたが20時もすんだので風呂は魅力だったが少しのウィスキーも回ってきたし疲れていて早く寝たかったので宮司に断りに行って直ぐ寝る。

11月22日(木)

 朝3時過ぎに目が覚める。トイレに行って5時まで寝ようとしたが目が覚めて寝られないので4時に起きる。蛍光灯があるので部屋が明るく作業し易いので朝食のラーメンを作って食べる。後片付けをしてパッキングをしても5:00に神社を出発できた。真っ暗な中、外にある寒暖計を見ると気温5゚Cだった。足の調子は踵も膝もまずまずである。今回は玉置山を巻かずに直登する。

 カツエの坂は歩き易い道である。体力がある時間に通過するのなら歩き易さも時間的にも巻道とどっこいどっこいの気がする。林道に出て直ぐ見晴らし台がある。そこでザックなどを調整している内に明るくなり始める。昨日は殆ど風が無く汗がダラダラだったが今日は尾根筋では冷たい風で朝方は腕まくりできない程だった。昨日も今日も一日中軍手をはめたままだが脱ぎたくはならなかった。

 朝方は時々ガスがかかり尾根では雲が流れる所もあった。昨日の反省からプラティパスに水を4リットル詰めて持っているので、ザック重量は20Kg以上になっており肩に食い込む。岩の口から先は急登が多く地蔵岳から槍ケ岳では鎖場が多い。今回感じるのは南奥駆の南部でも結構道標が整備されて来た事だ。特に林道と何度も交差する点や分岐の判り難い所にしっかり標識が付いている所が多かった。

 今日はできれば持経の宿まで行きたいが平治の宿まで3時間25分かかり持経の宿まで更に1時間かかるので逆算すると行仙宿山小屋に12:30迄に着かなければ明るい内に着けない。上葛川分岐で11:52なので仙宿山小屋まで2時間45分かかるので今日は持経の宿まで行くのは無理な事が見えて来る。笠捨山で既に14:16だ。ここからでも小さなピークを3つ程越えなければならない。16:23に行仙宿山小屋に着く。休日前日だが平日なので予想していた通り誰も居なかった。

 11月11日に汲まれた比較的新しい水がポリタンクにあった。暗くなりかけであるが水場を確認したかったので2リットルのプラティパスを持って出掛ける。かなり良く整備されている。新しい金属階段や板の橋が掛けられている。水場まで10分と書いてあるがどんどん下るがなかなか着かない。200m程下った気分で(デジカメを撮りながらであるけれど)16分かかってようやく着く。岩裂け目から水が染み出している。

 水の出は深仙の宿の香精水よりは少しましな程度である。岩場の下が三角状の盥(たらい)のようになっていて水が溜まる構造である。落ち葉が被っているが取り除けば澄んだ水であり横の岩にひしゃくが掛けられていた。このひしゃくでこぼしながらもタンクに汲める。ここは持経の宿の水平な5分と比べて下りの10分と遠いので覚悟が必要だろう。水場から戻るのに16分かかって殆ど真っ暗になった。でも今晩は余裕だ。毛布がたくさんあって寝袋やマットを使わずにいける。今晩はゆっくり食事を作ってウィスキーも昨日より多く飲めた。

11月23(金)

 朝の室内気温は6゚Cだった。朝出来るだけ早く出発しようと思っていたが行仙宿山小屋を出たのは明るくなった6:30になってしまった。日の出をデジカメに撮ろうと見通しの良いポイントまで早く辿り着こうとして、行仙岳を急いで登っている時、右踵に激痛が走った。急いで登ったのでつま先登りの状態が続いたためと思われる。以降、踵着地で注意してゆっくり登るとほぼ痛みは治まった。今日はまた風が無いので汗が流れる。

 怒田宿跡では昨年同様に標識は無かったが去年の11月の時に道を左に偵察に行って左はルートでない事が判明しているので当然道を右に取ってどんどん進む。今回は足の筋肉の調子が良い。チタンテープをタップリ貼っているからだろう。ただ貼り忘れたアキレス腱の上辺りが登りにこたえる。改めてチタンテープの効果を思い知らされる。行仙岳は直ぐで昨日地蔵岳辺りから半日以上ずっと見えていたパラボラのある山である。

 今回のように快晴が続くのは珍しく昼間であれば山が良く見えてどのように進んでいるのか良く判る。行仙岳以降も暫くパラボラが後方に見え続けた。昨日までのペースだと深仙の宿が精一杯だろう。明るい間に深仙の宿に着くには持経の宿から7時間かかるので10:00には持経の宿に着いておきたい。逆算すると平治の宿には9:00には着かないと考えながら進む。平治の宿にはほぼ予定より50分遅れて着く。

 ここで初めて人に会う。2人の50歳位の男性が小屋の冬の準備をしたり片付けたりしている。またこれから水が凍るためポリタンクの水を捨てたりもしている。持経の宿にも整理しに行くと言っていたので新宮山彦グループの人達かも知れないなあと後で解釈した。一人はここは通過する人が多いし釈迦ケ岳もよく見えるし本を読むなどのんびり過ごすには最高の小屋だと言う。今までのんびり山に入るという発想が無かったのではっとする。そうだそんな山もあるのだと思う。

 水場も行仙宿山小屋程遠く無いと言う。ここの水場は3分で近そうだ。水場の様子を聞くと行仙宿山小屋の水場ように水を溜める囲いがあるそうだ。早く工程を消化しようとするので水場が無いように思えるがゆっくり進むなら下れば水場は結構あるのだ。持経の宿までの間にまず若い単独登山者。次に2人連れ。次に中年の単独登山者。次に7〜8人の団体とさすがに休日に入ったので次々人に出会う。

 持経の宿には予定より49分遅い10:49に着く。誰も居ない。水は11月12日の新しいのがあった。平治の宿で会った2人がこの水も捨てに来る筈なのでたっぷり飲むとともに今まで消費した分程度をプラティパスに少し詰めた。結局ここで昨晩作っておいたジフィーズの赤飯を食べたりして20分も過ごしてしまう。般若岳で14時を過ぎる。コースタイムで太古の辻まで3時間かかる。ゆっくりしていられない。暗くなり始めるぎりぎりだと意識し始める。

 足は未だ問題は起きていないので気を付けながらやや速めに歩く。せめて石南花山16:20に着きたいと思いながら休まず歩く。おかげで石南花山には16:18に着いてほっとする。17:02に着いた太古の辻に着く頃から暗くなり始める。ここから先は何度も通っているので真っ暗でも大丈夫だ。ヘッドランプを着けながら進む。

 深仙の宿への最後の下りで明かりが2つ見えた。やはり人が多そうだ。深仙の宿に近付くとにぎやかな声が聞こえて来る。これでは避難小屋はおろか潅頂堂も一杯ではないかと心配になって来た。よく見ると1つの明かりは焚き火だった。深仙の宿に17:40に着く。避難小屋は人が大勢で一杯だったので潅頂堂の扉を開くと誰も居ない。潅頂堂の扉は外からロックされていたので中に人が居る筈は無い。ザックなどの荷物も無い。お堂の中に入ろうとした時扉の鍵を外で閉められたら大変な事になるなと思い、中に人が居る事を知らせる意味もあって靴を外に出したままにする事にした。

 避難小屋から大勢のにぎやかな声が聞こえる。あちらに皆泊まるのだろうと思っていた。キャンプ場内の遠くで焚き火も見える。お堂の中で食事を作って食べていると声が近付いて来たので窓から外を見ると暗くて気が付かなかったがお堂の前の広場に8人用程の大きなテントが張られている。避難小屋の人はこのテントの人達で食事と歓談を避難小屋でしているだけなのかも知れないと思う。

 この人達の中の何人かがテントに荷物を取りに来たのだろう。寝る準備をしながら食事が終わる頃あちらもテントに大勢戻って来た。近くなので大きな声や笑い声が聞こえてうるさいのでラジオをつけてウィスキーをやりながら明日はどこ迄行くか地図を見ながら考える。弥山まで6時間40分かかる。更に2時間35分かかって9時間15分で行者還小屋だ。その先5時間15分かけて小笹の宿である。足の調子はまだ行けそうだが14時間30分かけて小笹の宿を目指すには明るい時間が11時間しかない今頃は余程スピードを上げない事には難しい。

 天気は明日までは確実に晴れそうなので行者還小屋までなら問題なく行けるが足に注意しながら、またデジカメを撮りながら進む今のスピードでは難しい。明後日に行者還小屋からの出発であれば金峰神社まで12時間25分かかるので朝5時に出発しても17:25金峰神社着で近鉄吉野駅には更に1時間半後の19時頃になる。着替えもせず直ぐ電車に乗って家に帰るとしても2時間半以上かかるので家には21:30以降に着く計算になる。

 後片付けや翌日の仕事への影響などを考えると現実的で無い。では完走を断念するならどのコースからエスケープするか。弥山まで行って狼平避難小屋で泊まるのも魅力だが最近一度行ったコースなので面白く無い。その先の行者還小屋から和佐又口に降りようかそれとも初めてのコースとなる釈迦ケ岳から奥吉野発電所の旭ダム経由で旭橋に出ようかと色々考えていると、20:00頃にあちらのテントの部隊は歓談を終えてトイレに出る人の気配がする。

 何やらガヤガヤ言ってお堂の前まで来てお堂の前に置いてあった「つっかけ」を履いて行ったようだ。暫くしてお堂の扉を開けてうるさくしてすみませんと言って扉を閉める時に恐れていた鍵を外から閉める音がしたので大声で閉めないでと言ったので初めてミスに気付いたようだった。
やはり靴を外に置いていたので中に人が居ると判って声をかけられたので靴を外に出していたのは正解だったのかなと思った。

 暫くすると再びお堂の扉が開かれて先程テントから出ようとしたら1足半の靴が紛失しているのが判ったので大騒ぎをしていた。もし靴を見付けたら教えて欲しいと言われる。何の事かぴんと来なかった。動物が持って行ったのだろうかとか言いながらなかなか終わろうとしないので扉の外まで出て行った。靴が無いのでここにあった「つっかけ」を使っているというのでそうかと思いながら何気なく外に出しておいた靴を見ると無いではないか。あれっと言って私もここに置いていた靴が無いと言った。

 すると向こうも最初は本当かという雰囲気だったが次第に本当だろうと思い始めたようで明日朝になって明るくなってから捜そう、明日朝には「つっかけ」1足をお堂の前に返すと言いながらテントに戻って行った。持ってきたつっかけを出して取り合えず付近だけ捜して見たが靴は見つからなかった。暗いので私も明日明るくなってから捜そうと思ってお堂に引きあげる。きつねにつままれた気分でどういう事か色々考えながら寝始める。

 動物が持って行ったとしても思い登山靴をそんなに遠くまで運べる筈が無いとも思える。もし見付からなかったらどうするかを考え始める。持って来た「つっかけ」は新しいが荷重が加わると直ぐちぎれそうだ。それに比べてお堂の前にあった「つっかけ」は一体型で強そうだ。その2足とも前のテント組に使われている。ちぎれた場合を想定して1足は確保したい。しかし彼らも1足半失っているので強引に1足を確保できるか分からない。

 また「つっかけ」だけでは登りは脱げる方向にずれるし下りや横ずれすると上カバー部分がちぎれ易くなるので足と「つっかけ」をできるだけ固定する必要がある。本当は裸足に「つっかけ」を履いた方が滑らないので安定するが底が靴より薄いので石のゴツゴツ感で痛いだろうから靴下は履いたままにしよう。テーピングテープで固定して歩こう。捨て縄だと長い間歩いていると食い込んで痛いだろう。

 お堂の前の「つっかけ」が確保できたら、持参した「つっかけ」よりお堂の前の方を先に履こう。靴が見付からなければ前鬼口に降りるのが一番近いし、うまくいけば途中で車を拾えるかも知れない。見付かればその時の調子によって柏木か旭口のどちらかに降りれば良いなど考えながら眠りに着く。

11月24(土)

 朝5時頃にテント組が起き始める。こちらもやおら起きてゆっくり食事を作り始める。明るくなった6時過ぎに扉を開けて外に出る。テント組が気付いて「つっかけ」を持って来てくれる。靴の予備は全く持っていないのかと聞かれる。持っていないと言うと彼らの中に一人運動靴の予備を持っている人が居るそうで「つっかけ」1足は意外にあっさり確保できた。

 朝食の途中になったがトイレを済ましてから直ぐ靴を捜す。最初はざっと捜すが見付からない。彼らは既に一旦捜したようだが私が捜しているのを見て2人が再び捜し始める。2回目はじっくり捜すがついに見付からなかった。彼らも見付からなかったようだ。彼らも前鬼口に帰るのかと聞くとズック靴の人の荷物を軽減して当初予定の弥山から狼平まで行くそうで、もし調子が悪ければ釈迦ケ岳から旭口に降りると言って出発して行った。

 私もその後遅れ出発しようとして「つっかけ」をしっかり固定している時、ふと地面を見ると「ひも」が見付かった。よく見ると私の登山靴の紐の切れ端だ。その切り口からすると噛み切られたもののようだ。少なくとも刃物で切った切り口では無い。やはり動物だったのだ。

 納得しながら遅い9:00に出発する。太古の辻まではひどい登下降は無く無事通過できた。両童子岩付近から下は段差の大きい下りが多くストックを目一杯使いながら慎重に降りる。かなり無理したので膝が変な感じになって来た。踵や足裏はほぼ問題無い。12:00に小仲坊に着いてほっとする。ここまで来ればもう「つっかけ」がちぎれる事は無い。バス時刻を確認すると前回と同じ学校休校日の日は14:47がある。コースタイム通り歩いてほぼぎりぎりの時間である。

 重いザックではかなり頑張らないと間に合わせるのは難しい。林道終点まで急いで歩く。途中若夫婦と母親の3人連れらしき人が散策している。これは時間的にも車に乗せてもらうのは無理だと直感する。林道終点では10台程度の車があったが誰も居ない。次ぎは不動七重滝に見物に来る車を拾える事に期待をしながら進む。トンネルを3つ越えた所で不動七重滝が最初に見えた所でデジカメを撮っているとトンネルを通過している車の音が聞こえる。

 下って来た車なので注目する。軽のミニトラックだ。これは頼み易そうなので合図すると直ぐ停まって乗せてくれた。不動七重滝を過ぎてからと思っていたので早過ぎるが贅沢は言えない。有り難い事だ。話しをしていると十津川役場の人で狩猟に来ていたが用事があるので仲間と早めに別れて新宮方面に帰る所だそうだ。新宮方面に帰るのならずっと乗せてあげると言われた。

 登山靴が取られた話しをしているとこの辺の家でも革靴を外に出しておいたら無くなる事は時々あるそうだ。それも巣に集められているそうだ。という事はこれから靴は外に出してはいけないのだ。話している内にあっという間に15分もかからず13:10に前鬼口に着く。14:47までたっぷりあるのでまず着替えて次に周辺の写真を撮った後ウィスキーを飲んでいる内にバスが来る時刻になった。後は交通機関の順に乗り継いで19時頃に家に着く。


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