奥駆け日記(11) (H16年4月)

4月28日(水)

 今回の天気予報は5月3日までが良さそうで4日以降が崩れるようである。出発時のザックの重量はウーロン茶2.5リットルを含めて24.8kgである。ザックはオスプレイの75リットルだからスペース的には余裕があるが少し重い。16:00にヴェクスターで出発する。ザックの一部をひもで固定してザックの尻が座席に着くようにベルトを緩めてザックを背負って乗るがどうも引っ張られて不安定で姿勢が悪くてきつい。

 御所手前辺りから左足の小指付け根の第二関節の膨らんだ上側が靴に圧迫されて弱いが痛み出す。歩いてもおらずヴェクスターに乗っているだけなのに痛みが出るのは非常にやばい予感がする。今回の靴はシリオ・ゴアテックスのPF-422-GTXの3Eの短靴にしたが今年の2月19日からの小辺路でも同じ失敗したのをすっかり忘れていた。奥駆けで靴を取られて買い替える時、靴の寸法が27.5cmを買うべきを27.0cmを買ってしまったのが原因だと思われる。

 それにこの靴はクッション性が悪く底が固い感じがするのも気になりだす。途中少し寒くなって腹も減ってきたので御所でラーメンを食べる。R42・R309で約3時間で金峰神社に到着する。いつもの休憩所で9:00過ぎにシュラフで寝る。

4月29日(木)

 朝目覚めたのがすっかり明るくなっている5:40になり大きく寝過ごす。慌てて鯖寿司を食べながらパッキングをしていると早くも登山客らしき3人組が到着して通過する。1人だけ本格的装備と大きなザックだったが他の2人はザックさえ担いでいない変なグループだった。せっかくヴェクスターで来たので重いザックだけを足摺の宿までデポしに出発すると直ぐ土砂崩壊のため通行止めのガードが現れる。

 どうしようか迷ったが行ける所まで行ってみようと通過すると土砂崩壊はどれか判らない内に足摺の宿下の鉄階段に到着する。ここで急登を詰めて足摺の宿まで登りザクをデポするが足摺の宿付近の標識を見て、失敗だったと思う。どうせデポするなら百丁茶屋跡まで行けば良かったと後悔するが遅い。しかしあの通行止めはなんだったんだろうと思う。

 ヴェクスターを駐車場持って行くために引き返す。通行止め手前で金峰神社への山道につながる地点の広い土の駐車場である。ここから先はカメラとペットボトルだけの空身なので心も軽いので今までどんな所だろうと思っていた西行庵を経由して遠回りして行く。想像していたより味わいのある好い所だった。今日は天気はすこぶる良い。

 軽いので青ケ峰の先の道路から最初の分岐の古道を通るが四寸岩山を避けて在来の大峰山登山道も階段から入る。この辺りから早くも昨日心配していた左足小指の痛みの兆候が出始める。以前は途中伐採で道が寸断されて途中からアスファルト道路に降りて再び足摺の宿下の鉄階段から登り返したが今回は通過できた。足摺の宿でデポしたザックを回収したが体は少しの間楽だったが良く考えてみればヴェクスター往復時間で1時間程出発が送れたので時間的には逆にロスが多かったのではないかと思う。

 途中次第に左足だけでなく両足の小指の第2関節の膨らんだ所が痛くなり始め、上部だけでなく下部も強烈に痛くなり我慢出来ずに百丁小屋先の2つ目の水場で靴を脱いで当てクッションを加工して張り付ける。この後はこのおかげで小指の第2関節の膨らんだ上部の痛みはかなり和らいだが下部は何の工夫もできないので痛みは益々強くなっていく。今日は少なくとも小笹宿までは必ず到着しようと思っていた。もし13:00以前に小笹宿に着ければ行者還小屋までに18:00までには入れるだろうから状況によっては行者還小屋まで狙いたいと思っていた。

 しかし朝寝坊や足の痛みもあって小笹宿には15:20になっていたので早いがここ止まりとする。暫くすると次々人が現れ最後は4人で小屋を使う事になる。四国・神奈川・東京の人でいずれも大峰山奥駆完走を目指して来ている人達だ。暫く情報交換をするが19:00頃から寝始める。

4月30日(金)

 昨日は出発が遅れたので今日は早く出ようと意識していたので手際よく出発できるようにエアマットも敷かずシュラフだけで寝るなど準備していた。隣の人がガサゴソする音で3:00前に目が覚める。小キジをしてからまだ早すぎるが直ぐ出発準備にかかり、真っ暗の3:30に小屋の外に出る。この辺は何度も来ているので昨日小屋に早く着いたにも拘わらず今日の偵察をしておかなかったのが失敗だった。特に最初の道が真っ暗だと結構判りにくいのだ。

 どうしても稜線中央方向に登ってしまう癖が原因で途中どうやら道を外したようだ。地図で確認すればどうやら尾根左方向に向かわなければならないだったようだ。ザックを置いて偵察に出掛けるが逆に戻って来たらザック位置に戻れない。まばらな樹林帯であるので目印の木をしっかり記憶して引き返したつもりが見付からない。せいぜい水平に200m程度しか移動していないのにこれもまた往復とも完全に水平移動できなかったのが原因のようだ。

 暫くザックを捜すが見付からないので明るくなるまで待つ事にする。明るくなった4:45に待機していたポイントよりやや斜め下10mの所で発見する。真っ暗だと結構近くても捜すのが難しいものだ。早く出発した効果が出ず余計な登下降で足の痛みを早くも誘発してしまっただけだった。結局小笹宿を5:00出発と同じ事になる。今日はできれば楊枝ケ宿避難小屋まで行きたい所だ。それには弥山に少なくとも13:00には着いていなくてはならないと計算している。

 七曜岳を過ぎた何でも無い岩場のトラバースで念のため鎖を持って進んでいる時足をぐねってころびかけたため左膝を岩でしこたま打つ。鎖をつかんでいたため転落はしなかったが危ない所だった。痛みで暫く歩けない程強烈に打撲したので良く見るとズボンから血が滲み出している。暫く痛みをこらえて立ったままでいる。その後も傷口は確認しないのでよく判らないが血が滲み出ているのか左膝辺りのズボンが引っ掛かって歩きにくい。

 夜寝るまでずっと左膝辺りのズボンが引っ掛かる。左膝は液体が出続けて湿ったままだ。行者還小屋に9:25に着く。小屋に引き込まれている水場のコックから水は出ていない。元のチョロチョロ流れている水場は1人が汲んでおりもう1人が待っているので直ぐに汲めない。結局水を汲んで再び小屋に戻ると10:30になる。足が痛いし出発が遅れて13:00に弥山に到着するのは困難になってきたので今回は途中下山する事に決める。

 どこで降りるかだが天候が5月2日までは天気が良く3日から次第に悪化するのも踏まえてせめて一度は楊枝ケ宿避難小屋を確認しておきたかったので前鬼に降りる事に決心する。すると今日どこで泊まろうかという事になるがツェルトしか持っていないのでテント泊はしたくない。という事は余りにも早過ぎるがここ行者還小屋で停滞する事を決心する。明日5月1日は楊枝ケ宿避難小屋に泊まり5月2日に前鬼口14:47のバスに乗る計画とする。

 暇なので日差しの暖かい気持ちの良い小屋の外でラジオを聞きながらスピリタスをチビチビ飲む。時々小屋を覗く人がいる。優雅にコーヒーを飲んだりしてゆったり贅沢な時間を過ごす。途中若いフィンランド人夫妻がここは泊まれるのかと聞いて来るので案内してあげた。費用も聞くのでただと教えてあげる。酒の性で眠くなって来たので小屋内の毛布を借りて敷く。明日早朝出発の準備もしておく。

 15時頃に横になり寝始める。16時過ぎ頃から人がどんどん入ってくる。うるさくてまともに寝られないがこちらが早すぎるので仕方ない。18時も過ぎると大きなこの小屋も一杯になってきた。2階まで結構埋まったようだ。さすがに連休中は凄い。中には外で騒いでいるパーティもいる。2階から凄いいびきが聞こえる。まるで列車通過中の高架下に居るのに近い程だ。一晩中この音で悩まされるのかと思っていたらこのいびきは何故か真夜中には消えていた。周辺の人も大変だったろうから何とかしたのかも知れない。

5月1日(土)

 朝3:00頃に起きてうるさくないように外に出てラーメンや味噌汁などを作って食べる。荷造りもうるさくないようドアで仕切られたエントランスで行うが昨日たっぷり汲んだ筈の吸い口付きのプラティパスが半分位しか無く不思議に思いながらパッキングして3:47に出発する。左膝はもうすっかり乾いている。今日は道はしっかりついているので迷う事は無い。弥山への道も木の階段や標識がついたり整備がされて来ている。

 昨夜考えていた事だが深仙の宿は行者還小屋の経験から人が多いだろうからできれば今日は楊枝ケ宿避難小屋に泊まるようにしよう。もし楊枝ケ宿避難小屋に水場が無ければ水の量が予定より少ないので「鳥の水」が出ているようであれば少し遠いがそこまで汲みに行けば良い。途中対向して来る人に出会ったら「鳥の水」は出ていたか聞こうと思うが弥山までは弥山からの下りの人ばかりだろうから八経ケ岳を過ぎてから会う人に聞こうと思う。

 聖宝宿跡から弥山への登りは以前のイメージより楽に登れて7:43に弥山に着く。アルファー五目鳥飯を食って25分後に出発する。今日も天気が良い。八経ケ岳への鞍部の今古宿跡の水場捜しを忘れて通過してしまう。八経ケ岳に8:45に着いてデジカメでムービーを撮る。弥山から先は久し振りの道だ。明星ケ岳を通過して初めて対向者に出会ったので「鳥の水」が出ていたかと尋ねるとそこそこ出ているらしいので一安心する。その後も対向者は3人程現れた。

 八経ケ岳からは基本的には下りが多く楽に12:02に楊枝ケ宿避難小屋に着く。まずしっかり飲み食いしてから水場を捜しに行く。5分程行ったら鉄パイプからチョロチョロ流れている水場が見付かった。たっぷり汲んで帰る。この水で体を拭いたり頭を洗ったりして過ごす。フィンラナド人夫妻など多くの人が通過して行く。明日早朝出発のため余り道に自信の無い仏生ケ岳の登りの先まで偵察に出る。

 この登りものっぺりしていて色んな道筋が付いている。最後の方はピークを右に巻く形を確認して下る。下る途中で1人の男性に合う。通過する人が少ないなと思って今日は一人になるかなとひそかに期待していたらその内に年輩の2人組が次に若者1人現れて同宿する事になる。彼らは焚火をしていたので暫く一緒させてもらう。今日も早く寝る。今日は静かに寝られそうだ。

5月2日(日)

 昨夜は静かだったので良く寝られた。朝3:00過ぎに年輩2人組が起きたのでこちらも目が覚めた。うっかり寝過ごす所を助かった。若者も直ぐ起きてくる。音を気にせずラーメンなどを作って食べ荷造りすると他の3人は未だ出発の気配はないので一足お先と挨拶して4:00に出発する。真っ暗でも今日は偵察してあるので快調に登る。仏生ケ岳ピーク付近をトラバースして通過して暫くすると夜が明けて来る。前方を見ると孔雀岳と釈迦ケ岳のコル(鞍部)にガスが流れている。

 これは朝だけの独特の東から吹き上げた風がコル付近でガスっているだけだろうと思っていた。孔雀岳のピーク下にある「鳥の水」はパイプが1本増えて2本になっており一方はしっかり出ていたがもう一方はかなり弱い流れだ。1つの出が悪くなったのでもう一本追加されたのだろうか。孔雀岳を過ぎると前方のガスに入って行く。釈迦ケ岳のピークに着けば晴れているのを期待して進む。しかし次第にガスが濃くなりガスが木の枝に当たって液化した滴が次第にポタポタ風で降って来る。

 次第に雨か滴か区別つきにくなってくるが樹林が無い所では降っていないので未だ雨にはなっていないようだ。両部分け辺りでガスの性で一度道を外すが直ぐ戻って問題なく通過する。釈迦ケ岳への登りに入って初めて人に出会う。釈迦ケ岳への下りに比べてイメージが全く違いこの登りは両手を使う急な所が多い。釈迦ケ岳へ6:54に着くが濃いガスの中であった。

 この天候は入山前の天気予報より早い崩れなのか山中の独特のものなのか判別できないが本格的な降りでもないし現在のラジオの天気予報でも大きく崩れるとは言っていないので山間部独特のものだろうが面白くないものだ。釈迦ケ岳の下りでこれからずっと下りになるのでストックを出し遅すぎたが初めてザックカバーをかける。こんな天気なのに深仙の宿までと前鬼:小仲坊までにも多くの登山者と出会う。

 小仲坊には9:55に着きアルファ米の鳥飯を食べてから出発する。問題は痛い足をかばうため小仲坊先の車止めから車に乗せてもらえないか期待しながら進むが時間的に下る車を見付ける可能性は低い。何人か車から降りて見物している人もいたが何日も風呂に入らず汗くさいのできれいな車に乗せて欲しいとも頼みにくい。トラックのようなものは全く無く、諦めて再び歩き始める。ただでさえ両足の小指の第2関節の膨らんだ所が痛いのにアスファルトの道はすごく辛い。

 何度も休みながらバス停に到着後を夢みながら歯を食いしばってひたすら我慢しながら歩く。前鬼口バス停に12:53に到着してほっとする。14:47発には2時間近く時間があるので着替えながら暖かい飲み物を作っていると次々登山者が降りてきて最後は10人程になる。バスはやや遅れて大勢乗っていたが座れた。

 しかし途中で次々乗って来たので補助席も出して満席になり乗り換えの「杉の湯」以降も次々乗車する人がいたのでついには立たざるを得なくなって来る。しかし途中で温泉に入ってから帰る大きなグループが降りたので再び座れた。大和上市に着いてからどうするかだ。吉野に出てしまえばタクシーは居ない。大和上市のタクシー料金表を見れば中千本までで4000円になっているので奥千本に置いてあるヴェクスターの駐車場までなら7000円位はしそうだ。

 これはきつい。最悪吉野駅で野宿する積もりで吉野駅に向かう。吉野駅では上千本行きの連休臨時最終バスが10分程前に出た所だった。どうしようかとうろうろしていたら貸し切りタクシー2台が到着して客を降ろしたので聞くと行ってくれる。ラッキーだ。明るい間にヴェクスターにたどり着く。運賃は3600円だった。金額だけなら電車でもそう変わらないが時間的自由さではヴェクスターだ。21:00過ぎに家に着く。


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