奥駆け日記(12)
(H17年8月)
今まで、日程を甘く見ていたり靴を取られるなどのトラブル発生で、奥駆け全コースを完走したことがなかったが、今回は8日の休みを取って何が何でも完走するつもりで開始した。当初計画は の、4泊5日の予定で出発したが台風11号の影響で、結果的には6泊7日になってしまった。予備日を取っておいて正解だった。 8月20日(土) 朝の天気予報で台風11号が発生したと聞き、どちらに向かうのだろうか気がかりだ。出発前のザック重量は軽いザックのオスプレイatmos50にしたのに、水を持たない状態で19.6kgになってしまった。5日で完走する予定だが、雨などで沈殿(停滞)する事も考えて7日分の食料とアルコールなので仕方ないか。ただ、アルコールは前半分はウィスキーだが、軽くするため後半分は度数の高いポーランド産ウォッカ「SPIRYTUS」に香りが出るよう少しスコッチを混ぜた。 仕事を済ませて11時33分「六甲道」発の快速に飛び乗る。芦屋で新快速に乗り換え、新大阪から12:03発の「特急スーパーくろしお15号」に乗る。今回は、初日は本宮大社の瑞宝殿に余裕で泊まる予定だから、紀伊田辺からバスに乗る事にしている。当日にならないと何時の電車に乗れるか予定ははっきりしかったので自由席特急券だ。14:11に紀伊田辺に着く。40分程時間があるのでコンビニで夕食と明日の朝食を買い出しに行き、暑いので喫茶店で涼む。テレビで高校野球の決勝戦をやっていた。 JRバス出発14:55予定の10分程前にバス停に向かうと、どうやら目的のバスらしき車が停留所に入って行く。丁度良いタイミングだと思っていたら、直ぐ出発するではないか。違うバスかなと思ったが万一目的のバスだと大変だと思って信号待ちしているバスに走って追いつき、ドアをたたいて確認すると目的のバスではないか。ヒヤッとするが、よく考えるとなぜ5分以上も早く出発するのか不可解なので運転手に聞くと、逆に現在時間を尋ねられる。あきれてしまった。結局再び出発点のバス停に戻り定刻に他の客も積んで発車する。運転手はお詫びの一言もなく言い訳だけしていた。最初からこのようなトラブルに見舞われて、行く先々が心配だ。 栗栖川で竜神バスに乗り換える。ここが始発なのに乗車券を取ると15番になっており、本宮大社に降りる時運転手さんから聞くと、紀伊田辺の竜神バス事務所で通し券を買っておれば2社合計2500円にならず、2000円で乗れたそうだ。また失敗だ。 17:00過ぎに本宮大社に着いたので。早速、瑞宝殿に行くが予定より1本早いバスで着いたためか、打ち合わせの張り紙が入口に無い。公衆で社務所に電話すると社務所に上がって来るよう言われる。社務所で3000円を払うと袴姿の若い人が下の瑞宝殿まで部屋の案内に降りてくれた。 まだ明るいので、明日の出発点の様子を見に行く。今日も小雨が降ったので熊野川の水量が気になっていたが、増水している感じは無かった。ガソリンスタンド裏辺りから出発点への渡渉は出来そうなので、取り敢えず空身でスポーツサンダルを履いて予行演習を行う事にする。出発点の階段より備崎橋方向に少し行った波が立っている瀬の浅い所は膝位までで渡れたが、流れがきついので滑る懸念があった。もう少し深くても緩い流れを捜すと出発点に近い方に戻って、太ももまでもぐるがこちらの方が安全だろうというポイントを見つける。明日はここを渡ろうと決める。 明日、玉置神社まで水が補給できない場合を考えて、多すぎるかなと思いながらも4リットルの水をザックに詰める。 8月21日(日) 天気予報は今日は午後から雨と言っている。朝からずっとガスっている。できるだけ遅く降り出す事を祈りながら瑞宝殿を4:25に出発する。昨日偵察の渡渉地点に着いて夜が白むのを待ってからストックでバランスを取りながら渡渉する。さすが偵察しただけあって難無く渡れる。七越峰までそのまま裸足にスポーツサンダルで行き、ここで靴に履き替える。パンツは沢用のジャージのため暑いので、たくし上げて半パン状態にする。以降奥駆け中ずっとこの状態で歩く。 吹越宿跡ではここは「山在峠」であるとの間違った個人製の赤字の表示が混じっていた。困ったものだ。山在峠に近づくとガスが濃くなり、山在峠で遂に雨がポツポツ降ってきた。もう少し持ってくれるかと期待していたが予想通りの早い雨の到来だ。今回の靴は敢えてクッションの良い六甲全山縦走用のリーボックのDMX MAXにしたので雨には無力であるため、甲と足首からの防水用に自家製のビニールスパッツを作ってきたのを着ける。暑く風がないのでゴアテックスの雨具上下を着ず、折畳傘にする。 何度も通っている性か大黒天神岳の尾根の直登は苦しく感じないが、左手に傘右手にうちわを持ちながら登る時、肩に食い込むザックが苦しい。オスプレイatmos50は軽量化のため肩ひもが薄いので余計に食い込むような気がする。(重い荷物を担ぐザックではないのだろう) 金剛多和の宿跡辺りから雨がきつくなってくる。金剛多和の宿付近の水場偵察をしようと思っていたが、いくらザックカバーや中身をポリ袋で防水していてもザックを降ろして空身で行ける状態ではない。ラジオを聞いていると益々状況は悪くなりそうなので、諦めて立ったまま行動食を少し取ってから出発する。 五大尊岳までは長い。足元もどんどん悪くなってくる。もう、うちわで扇いではいられない。滑りやすくなってきたので右手はストックに持ち替える。出発が早いので心配は無いが玉置神社には予定より遅れそうだ。防水用の自家製のビニールスパッツはそこそこ有効なようだ。五大尊岳まで2時間もかかった。 今までの経験で上から靴下を伝って雨が靴に入って防水靴でも役に立たず、靴の中で足が泳ぐ経験があるのでその対策もしているが、長時間の強い雨では水は色んな所から忍び込んでなかなか完全な対策は難しい。ビニールのため足が蒸れてきているのか、水が染み込んできているのか判らない。いずれにしても、足が濡れると足がふやけて、でこぼこのしわになり、その状態で長く歩くと皺を踏み続ける事になり、マメが出来やすくなるので困るのだ。 大森山辺りでは雨も小雨になる。でも傘とストックは離せないし、ザックを置けるような所もない。休憩はザックの底にストックを立てて肩への負担を軽減させる事くらいしかできない。初日はザックが一番重いので仕方ない。 50分程で水呑金剛の林道終点に着くが、目印の錫丈の頭部が外れて無くなっている。20分程で本宮辻に着く。雨が再びきつくなる。ラジオによれば和歌山県南部に「大雨注意報」が出ている。でも、ここまで来れば40分で玉置神社なのでほっとする。でも玉置神社まで12時間近くもかかった事になる。体力・筋力は問題無いが肩の痛さと靴中の濡れがきつい。 出発前に1日目の宿泊場所はどこにしようか考えた。カツエ坂先の展望台で天気が良ければ東屋下で寝袋で寝るか、天気が悪ければテントを張る。あるいは、玉置神社の休憩所の屋根下を借りるのを断られた事もあるので、宿泊場所ではないと断られるのを覚悟で「奥駆け」をする者として一度玉置神社にお願いしてみるかを迷った。お願いしてみたら「行者しか泊めない」と言われたが、参拝も心の中次第という事で結局FAXで申し込んで翌日許可を頂いたのだ。 玉置神社に泊まれて有難かった。大雨の中テントを張らずに済むし、何より乾燥した所で過ごせて、おまけにお風呂まで頂けたのだ。また、靴の中は最悪ではなく、足はふやけているが靴下を絞っても水は絞れない程度だった。その程度だったので自家製のビニールスパッツは有効だったと考える。夜中もずっと強い雨が続いていた。(帰宅してから調べるとこの日の、「本宮」の1日降水量は77mmで最大1時間降水量は18mmだった。) 8月22日(月) 昨夜からの強い雨は朝も続いている。天気予報は昼から上がると言っている。予定は朝4時頃出発したいのだが、余程もう1泊お願いしようかと弱気も出てくる。でも午後雨が上がるならカツエ坂先の展望台まで行ってから様子を見て、最悪でもこの展望台でテントを張れば良いと意を決して、2つ目になる使い捨て自家製のビニールスパッツを着けて、ようやく小雨になった8:20に玉置神社を出る。外気温は20℃だった。今日以降うちわは使う必要はなかった。(帰宅してから調べると、この22日の玉置山の1日降水量は26mmで最大1時間降水量は13mmだった。) 何の気なしに玉置山は登らず周回道を取る。カツエ坂辺りから雨が上がる。カツエ坂の登り口には大きな石でできた世界遺産の記念碑が建てられていた。雨が上がってほっとするが、奥駆道は草が生い茂ったり木の下を行く道が多いので草に付着した水や、体がぶつかった木のしずくや、風による木からのしずくが大敵だ。日差しが出てガスが晴れて乾いて来ないと雨が降っているのと大差ない。いくらゴアでも暑いので雨具は着たく無い。風がそんなに強くないので今日も傘で行く事にする。 今まで、通過時間記録代わりにデジカメを撮って来たが、花折塚でデジカメを撮ろうとしたら電源ボタンを押してても反応しない。電池の接触か、電池切れか色々探るが原因が判らず時間だけ経過するので諦めて出発する。デジカメは腰ベルトに固定する方式でカメラケースに入れて直ぐ取り出せるようにしている。濡らさないよう気をつけながら撮ってきたが、昨日からの湿気が原因だろうか。 花折塚から林道に出た所で再びデジカメ電源ボタンを押すと復活している。よく判らない。天気は雨は降っていないがずっとガスっていて雨の気分だ。どこまで進もうかと考えてながら歩いて来たが結論が出ない。この先は6〜7回尾根道から舗装林道に出たり入ったり、出ないが並行したりする。水呑金剛や稚児の森を通過する。 11:00前に岩の口に着く。右を下って上葛川で民宿を頼もうか、直進して先に進もうかと考えながら休んでいると突然地元の人が現れた。林業の人で、西の十津川方面から登ってきたそうだ。私の足元を見て、それはそれはヒル対策かと尋ねられる。逆にこの辺の人はキンチョーの虫除けスプレー(名前は忘れた)を常に持ち歩く事を教わる。吸い付いていても一吹きすれば簡単に落ちるそうだ。 色々話してから一旦、上葛川に向かう。しかし天気も一旦は回復する様子もあり、気になる台風11号もこちらに向かっているので、できるだけ進んでおこうと思い直して引き返す。今日の宿泊場所は当初予定の行仙宿山小屋か平治の宿は、暗くなってから地蔵岳を越す事になりそうなのでそこまでの気力はない。地蔵岳手前の上葛川分岐は水場も15分であるのでそこを目指すことにして、岩の口から登り始める。 これから先天気は少しずつ良くなり日差しも出てくる。古屋宿跡、21世紀の森「森林植物公園」分岐、上葛川分岐を越え、途中左手に「森林植物公園」が見おろせる所もあった。13:30頃貝吹金剛に着くとテント場をイメージしていた上葛川分岐はここだった。テント1張りの平なスペースがある。上葛川への分岐もあるのでかなり下れば水場もあるだろう。しかし水は十分持ってきたので(5リットル)どこでも泊まれる。ここは風通しも良く乾燥していたので早いがここでテントを張ることにする。今日の行動で濡れたものをいっぱい干す。 ラジオを聴いていると、台風11号はこちらに向かっていて25日未明に近畿に再接近または上陸と言っている。24日から影響が出て雨模様となるらしい。明日が勝負だ。雨の降る前に是非地蔵岳を越えておきたい。明日は遅くとも5時出発だ。 8月23日(火) 出発まで手間取って遅くなり、夜が白みかけた5:00出発になってしまった。約1時間で香精山〜見通しの良い高圧鉄塔〜上葛川分岐〜檜ノ宿跡〜(以前順峯方向で道を間違えた)R425分岐(現在ここは、標識があって間違えることはない)〜拝み返し〜菊ケ池〜四阿之宿跡に6:48に着く。ここを右折して下って上葛川分岐に出る。ここが当初昨夜宿泊目標にしていた所だったが、貝吹金剛にしていて良かったと思う。確かに標識では水場15分とあるがテントを張るには狭く快適性はなく、ビバーク場所だった。 地蔵岳へは、鎖場が続く。地蔵岳手前で巻道が丸太で整備(何とか通れる程度)されていたので通ることにする。この道は初めてだ。以前は丸太の橋状のものが無かったので、尾根通しの方が安全だったが、大きなザックを背負っていれば振られ易いので現在はこちらの方が手軽だ。地蔵嶽本尊の地蔵さまを見上げてから直ぐ上の地蔵岳山頂にも寄る。槍ヶ嶽を越えれば楽な道に戻る。再び高圧鉄塔のふもとに着くと視界が開けて行仙岳の白いマイクロタワーが遠くに見える。 葛川辻に7:10に着く。ここの5分先の水場は是非見て行こうと思っていたが樹木の伐採でかなり通行が困難になっている。それでも無理して樹木を乗り越えて見に行ったが、行けども行けども伐採が続き踏み跡も判別できない状態だったので諦めて引き返す。 笠捨山で10分ほど休む。今回の縦走では奥駆道の各所でヘリコプターから確認する番号の付いたシートがいくつも置いてあった。笠捨山はN14だった順峯方向に数字が小さくなっている。行仙宿山小屋では外気温24℃だった。ここではポリタンクに最新は8月21日に汲まれた記録になっている。お盆まで殆ど雨は降っていなかっただろうにここは汲めていたようだ。30分程してから行仙宿山小屋を出発する。 行仙岳に30分で着き、怒田宿跡に12:13に着く。ここの水場も一度見に行く事にする。以前間違ってこちら方面に降りかけた事があったが、その時より丸太の階段など、かなり道として荒れて来ていて滑りやすい。足元を注意しながら、ゆっくりとしか下れない急勾配をかなり下って、12分程で水場に着いた。岩場の割れ目を清水が流れていた。この3日程、かなり雨が降っていたにしては水量が少ない気がする。ここは枯れ易い水場かも知れない。水は補給せず顔だけ洗ったが気持ち良かった。帰りは13分程で戻れたので往復30分程みておく必要がある水場だった。 平治の宿に15:03に着く。ここでも盆前に汲まれた汲み置き水タンクがあった(空だったが)のでこの水場も涸れにくい沢のようだ。持経の宿に近づくとガスがかかってくる。風も少し出てくる。台風の影響だろうかとも思うが、恐らく山沿いの夏の天候だろう。持経の宿に着く前には雨模様になってきた。 持経の宿に55分で16:10着く。驚いた事に8月15日現在水場が涸れていると「新宮山彦グループ」の表示があった。あのたっぷりした沢でも涸れる事があるのだ。予想通り誰もいない。小屋内には「十津川村滝方面に3km下ると水が汲める」と白板に山彦Gの記載があった。更に山彦Gが20リットルタンク5個も汲み置きがしてあった。まだ水の余力は十分あったが感謝の気持ちが一杯だ。 この先水さえ持っていればテントを張れる場所はいくらでもあるので台風が接近する前にもっと距離を稼いでおくべきだが、雨模様でもあるのでまだ早いが軟弱にも持経の宿泊に決める。やはり屋根のある建物は乾いているし、自由に歩行できるので極楽だ。有難い。しかし賽銭箱が見当たらなかった。室内気温は21.5℃だ。ウィスキーをちびちびやりながら、ジフィーズの廃版になった最高にうまいカレーで夕食をゆっくり作り、至福の時を過ごす。 ラジオで天気予報を聞いていると時速15kmのゆっくりした台風でこちらにまっすぐ向かっている。予報はまだどこで曲がるかは言われていない。明日夕方から本格的な風雨の影響が出るそうだ。しかし早くも夜半から雨が強く降り出す。ウトウトしながら明日は停滞かな・・・と思いながら寝る。 8月24日(水) 夜中の強い雨は朝方まで続き、出発をためらっている内に次第に雨が弱くなってくる。ラジオの天気予報からも今夕からは間違いなく本格的な台風の影響があるだろうから出発が遅くなった分を差し引いて深山ノ宿を目指す事に決心する。乾いていない靴下を再び履き、3つ目になる使い捨て自家製のビニールスパッツを着け、6:20に出発する。 濃いガスはかかっているが、雨は直ぐ止む。風が無いので折畳傘をさしながら笹や樹木の水滴をストックで払いながら進む。阿須迦利岳でデジカメの電池を入れ替える。ガスっているのでデジカメはもう時間記録用にしか使えない。剣光門(笹の宿跡)では西側斜面に水場は無いか捜してみようと思っていたがこの天候ではその気は起こらず通過する。できるだけ太古の辻に近いところまで風雨は待ってくれと念じつつ進む。 滝川辻に向かっている9時頃から風が出始める。般若岳への登りで今回始めて人に出会う。深山ノ宿から来たのだろうか50〜60歳代の男性単独者だった。彼も台風の影響で早く持経の宿に着くよう目指しているのだろうか。2つ目の地蔵岳は女性的なやさしい山でこの辺の道は歩き易い。嫁越峠標識すぐ手前の広く開けた所に「天狗の稽古場」という初めて見る新しい表示が建てられていた。なるほど天狗が稽古するのにふさわしい雰囲気の所だなと思いながら通過する。晴れておればまた違った雰囲気になるだろう。 奥守岳前後には新しい表示が増えている。奥駆道の標識は少しづつ充実してきてはいる。間違えやすい所の表示は確実に充実してきているが、世界遺産登録後、急に充実してきたとは言えない程度だ。奥守岳で時間記録をつけようと胸のポケットにさしてあるボールペンを取ろうとするが無い。どこかで落としたようだ。これで時間記録やちょっとしたメモや小屋・テントの中で日記の元になるメモをとれなくなってしまった。予備を持ってくるべきだった。でも時間記録はデジカメで代用できると思い直す。 太古の辻に近づくにつれて風は強くなってくる。それでも傘はさしたままで進む。さすがに石楠花岳では傘はつらい。太古の辻を過ぎた13時頃から雨が一気に強く降り出す。ここまで来ればもう問題ない。念じていた通り風雨が強くなるのが遅くて助かった。傘は差せないがもうすぐ深山ノ宿も近いのでゴアの雨具を着る気も起こらない。30分近くずぶ濡れのまま深山ノ宿の山小屋に駆け込む。当然誰もいない。この小屋は最近まで入口の扉が外れていたが内開きの扉に修理されていた。 先ず最初は香精水の水補給から取り掛かる。ずぶ濡れ状態を拭いて少し乾かし、ゴアの雨具上下を着てサンダルに履き替えて出かける。水場への往復の道も水没である。水場では岩からの水が勢いよく流れているため貯水槽が濁っている。涸れていた時の葉っぱのカスが撹拌されているためだろう。気にせず6リットル汲む。沈殿予定の明日とその翌日の行動用飲料を考えても十分だろう。流れの少ない時用に壁に挿された「流れ分岐用スプーン」も残っていたが、ポタポタ程度しか分岐しておらず今回は意味が無かった。帰りは両手に水を持っているため、平坦だが風に飛ばされないよう注意して小屋に帰る。汲んだ香精水もじっと置いておくと底にゴミが沈殿する。上澄みだけを取って詰め替える。 小屋内は結構隙間があるので乾燥は期待できない。着ているものは全て着干しだが、気温は冬ほど低くないので少しも辛くない。東側の天井下の隙間から強風で雨粒がひっきりなしに入ってくる。寝袋は西側しか敷けないが天井があるだけでもありがたい。土間も自由に歩ける。夜が更ける程風の音がゴーゴー強くなってくる。今晩も明日以降の予定を考えながらウィスキーをちびちびやり、カレーで夕食をゆっくり作り、ほっとした時を過ごす。 ラジオの天気予報だと今まで紀伊半島に向かって来たが、少し東の方に反れる可能性もでてきたようだ。でも、明日一杯は台風の影響から行動できそうもない。最悪、前鬼からエスケープする事も可能だが、バスが通っているか心もとない。取り敢えず明日起きてから決めることとする。今晩以降の強風時の小キジは冬山で単独テント時と同じ手で、チャック付きポリ袋を2重にして使う事とする。 8月25日(木) 一晩中すごい風だった。台風はどうやら転向点を過ぎたようで少し反れてくれそうだ。明るくなってから外の様子を見ると、灌頂堂の前広場の傾斜壁側にある木が今にも倒れそうに大きく揺らいでいる。根っこ1本で支えられているようだ。その後時々外の様子を見る時気になる倒れそうな木は根っこ1本でずっと頑張っており、生命力のすごさを感じる。 昼過ぎには雨は一旦止むが、強風は収まらずガスが濃い。これから先のコースは特にやばい所は無いが、この風と濃いガスの中を出発する気にはなれない。風が収まってくれば、せめて楊枝ケ宿まででも稼いでおこうかと思いながらじっと耐える。不覚にもボールペンを落としたため、メモもとれずラジオを聴きながら今後の予定を地図とにらめっこで考える。午後3時を過ぎてようやく風が弱まってきた。ガスは東から尾根をこえるように流れている。今日の行動は諦める。ラジオでは西側のR168号線が土砂崩れのため通行止めになっているそうだが東のR169号線の報道は無いようだ。 明日は行者還小屋まで、明後日に吉野までとする。吉野で風呂に入って帰りたいので八経ケ岳山頂で携帯電話で予約するのを忘れないよう再度肝に銘ずる。夕方、灌頂堂を見に行くと三井寺の注意書きで「一般人の宿泊禁止・行者用」が貼られていた。ポリタンクに水は入っていなかった。香精水も長い間涸れていたのだろう。 (帰宅してからの調べでは、25日の山上ケ岳の1日降水量は67mmで、最大1時間降水量は9mmだったようだ。) 8月26日(金) 朝はまだ風が結構吹いており、ガスの中の小雨だ。濡れる可能性が高いので予備の靴下を履かず、乾いていない靴下を再び履く。4つ目になる使い捨て自家製のビニールスパッツも着ける。笹の多いコースとガス中を歩くので今日は初めてゴア雨具の下半身を着て5:00に出発する。出発時間記録代わりにデジカメを撮っておこうと電源ボタンを押すと、レンズが半分出て止まってしまう。何かがひっかかっているような感じだが何回かやり直すと正常にレンズが出て撮れた。 釈迦ケ岳に登り始めると雨だけは上がったようだ。しかしガスが濃く樹木に水滴を付着させその水滴が風ガ吹いたり、じゅもくの下を通過する時にぶつかったりして水滴が落ちてくるが、まばらな強い雨のようなものだ。 釈迦ケ岳手前の旭口方面の分岐でデジカメ記録しようとすると、再びレンズが半分出て止まってしまう。何度やりなおしても、E18のエラー表示が出て戻らない。ペンを落とした上、更にデジカメまでいかれてしまった。当初予定の千丈平の水場を見に行くのは諦める。釈迦ケ岳でも再度デジカメを試すが戻らない。記録は予定より何分遅れというように記憶していく事とする。 孔雀覗はガスって何も見えない。鳥の水はこれだけ降ったのだからさぞかし勢い良くでているだろうと思っていたら逆で、1本はそこそこ出ていたが勢い良くは無い。もう1本はチョロチョロだ。楊枝ケ宿跡で避難小屋で行動食の赤飯を食べ、念のため諦めていたデジカメ電源を入れるとレンズが出た。ラッキーという気分だ。どうやら湿気が関係しているようだ。 楊枝ケ宿以降はガスが晴れてくる。船ノタワ辺りから晴れ間も見え始める。久しぶりに気分は爽快だ。しかし運悪く八経ケ岳山頂だけガスがかかってしまう。晴れるのを待つ余裕も無い。古今宿跡付近の鞍部でザックを降ろして西側の水場を見に行く。少し下ると沢の音がすぐ聞こえる。上から様子が十分見えたので最後まで行かなかったが、5分もあれば沢に辿り着くのを確認して引き返す。 13:40に弥山に着き、ザックをベンチに置いて早速携帯(JFON)を出して電源を入れる。アンテナが1本立ったが安定しない。電波状態の良さそうな東側に移動してみるがアンテナが立ったり消えたりする。アンテナが立つ瞬間を狙って吉野の民宿(一休庵)に電話するが呼出音までには行かない。何度か試して見てやっと繋がり、予約できた。一安心だ。千尋にも予定が遅れているというメールを何度も試すが送ったという状態にしかならない。本当に送れたか配信確認はできなかった。 ここまで来れば後は、ひたすらほぼ下るだけだ。今日は行者還小屋まで誰も会わない。17時過ぎに小屋に着くが当然も誰もいない。新築1年のなのに、入口の内側のドアノブが早くも壊れて外れている。相変わらず小屋内水栓は使えない。まず水を汲みに行く。水場は黒いホースが設置されており、汲み易くなっていた。 しっかりした小屋は乾燥していて気持ちが良い。小屋付近は快適な東風が連続に吹いているので靴や靴下を外に干す。2時間もすればほぼ乾いた。良い風のある夕方に、久しぶりにうまいコーヒーを外で飲みながら満足する。明日は何の心配も無く、ひたすら吉野に向かうだけだと思いながら寝る。 8月27日(土) 朝起きると何とガスっている。うかつに外に干し続けた靴下がまたしっかり湿っているではないか。山中なのに天気予報を信じたのが誤りだ。最後の日なので予備靴下に替える。乾燥した靴下は気持ちが良い。ガスで下草が濡れているので、最後の5つ目の使い捨て自家製のビニールスパッツも着ける。(後で考えると本日なら既製スパッツで十分だっただろう)夜がしっかり明けた5時過ぎに出発する。 今日もガスは山上ケ岳近くまで晴れなかった。本日の失敗は不覚にも大普賢岳をトラバース道を行ってしまった事だ。ガスっている事もあるが弥勒岳辺りから尾根西面を行く道が続いており、大普賢岳から下りと和佐又方面への分岐点でハッと気付く。ここで本日初めて若者男性グループがワイワイ言いながら休憩しているのに出会う。ここから空身で大普賢岳に登り返そうかとも一瞬思ったが人が大勢いるので躊躇ってしまう。何度も登った山なのでパスすることにして進む。 小笹の宿はいつも通り水がしっかり流れている。山上ケ岳近くで晴れてきたので気分も良く歩ける。山上ケ岳から洞辻茶屋までは、さすがに人が多い。蛇腹の岩場も乾いているので下りやすい。5番関までに一人だけ山伏の錫錠を持った団体とすれ違う。5番関でも何の気なしに大天井ケ岳をトラバース道をとってしまう。百丁茶屋跡までも軽装の単独中年男性に会い山頂までどのくらいかと聞かれる。今日は天気が良いので大丈夫だろうが心もとない人もいるものだ。 九十丁の道路を交差する点で今日は四寸岩山をどうしようかと考え始める。今まで何の気なしに四寸岩山を行ったり新茶屋跡経由で行ったりしていたが、今回は大普賢岳をトラバース道を行ってしまった事もあり、本来の奥駆道は四寸岩山を経由するだろうから四寸岩山を経由する事に決める。足摺の宿まで思ったより長くかかる。四寸岩山の登りは背中に日を浴びて暑い。四寸岩山から急な下りを終えて舗装林道に着くとほぼ終わった気分になる。最後の舗装林道に沿った山道から青根ケ峰もしっかり登り16時半過ぎに金峯神社に着く。昔の奥駆けは75番の靡きがある吉野川河岸の柳の宿が終点だが、登山者としてはここまでとする。 奥千本からの最終バスは15時だから歩くしかない。民宿の到着時間は17時頃と言ってあったので少し遅れそうだ。携帯で電話を入れて場所を聞くと勝手神社のそばで中千本だ。上千本と思っていたので少し先になる。頑張って歩いて15分遅れで民宿(一休庵)に到着する。気持ちの良い奥さんが迎えてくれた。何はさておき風呂に入ってやっと奥駆けが終わる。 |
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